本の覚書

本と語学のはなし

授業見学


 今日も歩いて塾へ行き、高校2年生の英語の授業を見学する。
 私が属しているのは、高校1、2年生のクラス授業を行うところ。1年生は学校別にクラス分けをし、2年生は文系と理系を各々上下に分ける。見学したのは、2年生の文理合同(訳あって今日だけ合同)の下(下という名称ではないが)のクラスである。
 先生は講師歴10年の人。さすがに要領がよくてうまい。この人は昨日話をした2人の担当者より年長のはずだが、正社員のようには見えない。私が生活費を稼ぐモデルはここにあるかもしれない。慣れてきたらいろいろ聞いてみたい。


 本当は文法なんて半年か1年で終えて、後は目一杯いろんな文章を読んだら力がつくのにと思うが、進学塾なので致し方ない。
 もう少し知的な話をしたい誘惑も感じる。しかし、生徒はそういうレベルではなさそうだし(学生の時は中学生相手にギリシア語やラテン語の語源も教えていたけど)、私の裁量で勝手な授業(例えば時々タイムや文学作品の一部を読むとか)ができる訳でもない。それでも、1コマにつき1回くらいは、ちょっと高級な脱線を試みるべきではないか。


 授業見学の後、室長に、授業はすばらしく参考になった、しかしこんな授業を見せつけられては、私が数学を教えるなんていよいよ無謀な話だと思えてくる、と話を振った。すると、新入生のクラスは当初5クラスを予定していたが、4クラスになる可能性が高くなってきたので、私は数学を担当しなくてもいいかもしれない、と言う。
 1日で受講者数の見込みが劇的に変わるなんて怪しげな話である。昨日の私の話を聞いて不安を覚えた室長が、クラスの人数を少し増やしてでも、4クラスにまとめてしまおうと画策している、というのが事の真相ではないだろうか。
 授業の準備に膨大な時間を取られたり、生徒から質問されるたび血の気を失ったりする危険を回避できそうなのは嬉しい。


 次の研修は未定。たぶん数学を担当するという話が出たためにスタートを早めたのだと思うが、数学をやらないとなればそう急ぐことでもないのだろう。しばらくはまた連絡待ちだ。