月を天の地球にしたり、アナクサゴラスのように、月にもたくさんの山や谷があると推測したり、プラトンやプルタルコスのように、月に人間の居住地や住宅を設置して、われわれの幸福のための植民地を作ったり、われらの地球を光を放って輝く星にしたりするのは、どれも人間のむなしい夢ではないだろうか。(宮下志朗訳『エセー4』、p.32-33)
ところが、その空しい夢が科学を導くのである。
この引用の部分、モンテーニュはプルタルコスの『月面に見える顔について』を参照しているらしいが、どこに植民地云々の話が出てくるのか、私は見つけることができていない。そんなに単純な話でもなさそうである。
内容は多岐にわたり、当時までの自然科学を総覧するようなものであるらしく、最後はどうやら神話を介して形而上学的な解釈にまで踏み込むもののようだ。月は魂の基本要素である。知性が魂から離れて太陽へ到達すると、魂だけになったものは月へと分解していくのだ、と。
ケプラーがこの作品をラテン語に訳し、注釈を加えているという。モンテーニュが生まれたとき、コペルニクスはまだ存命だった。モンテーニュが死んだとき、ガリレオもケプラーもすでに世に出ていた。モンテーニュはプルタルコスの紹介する科学的空想の部分を空しい夢としているように見受けられるが、むしろ形而上学的なところをこそそう呼ぶべきであったかもしれない。
仮にプラトンやプルタルコスが月への植民を文字どおりの意味で考えていたのだとして、それはもうすぐ現実となるだろう。月で資源開発し、それを足がかりに火星を目指す日も遠くはないだろう。
11月号は素粒子物理学、アルテミス計画(日本人宇宙飛行士が月面へ)、地球外生命体、空の色彩など、宇宙に関係する記事が多くて面白かった。
モンテーニュの意図は、人間の理性がいかに信頼ならないものであるか示すことにあっただろうけれど、そして確かにそれはそうなのだけれど、時にある部分においては、一般には想像もつかないようなところまで到達してしまうものでもある。
古代人の夢にはばかばかしいものも多いけれど、とてつもない射程を持つものも中にはあるのであった。