本の覚書

本と語学のはなし

TIME June 5, 2017

Time Asia [US] June 5 2017 (単号)

Time Asia [US] June 5 2017 (単号)

  • 発売日: 2017/05/27
  • メディア: 雑誌
 このところ怠けがちであるが、結局のところ、英語が身に付くか否か一番大事な鍵を握っているのはタイムである。タイムを読んでいる暇がなくなるようなことには、手を出すべきではない。


 ビル・ゲイツがこの夏に読んでほしい五冊の本を紹介している。
 これに伴いタイムのインタビューを受けているが、その中で「読んでいないのに読んだふりをしたことがあるか」と聞かれて、こう答えている。

I don’t think I’ve ever done that. The biggest problem I have is that I refuse to stop reading a book in the middle, even if I don’t like it. And the more I dislike a book, the more time I take to write margin note. That means I sometimes spend more time reading a book that I can’t stand than a book that I love. (p.16)

 読み始めてしまえば、好きになれない本でも途中で止めることはできない。そして、嫌いな本ほど余白にメモを書き入れてしまうので、気に入った本を読むよりよほど時間がかかってしまうのだという。
 本に書き込みをするというところから分かる通り(次の質問で明瞭に答えているが)、ビル・ゲイツはデジタルブックよりも紙の本を好むそうだ。


 マンチェスターのテロ事件の記事では、keep a stiff upper lip (動じない、感情を表に出さない)という表現が何度も出てきた。これはイギリスの魂を象徴する言葉なのだろうか。

フレーズとクリーシェ【購入】

英語フレーズ4000

英語フレーズ4000

 昔持っていた本だけど、売ってしまったので、改めて買い直すことがある。
 このところ英語関連に多い。この前の『英語で意見を論理的に述べる技術とトレーニング』もそうだ。今回の二冊もそうだ。
 決して読むことはないだろうと踏んだはずなのに、どこでどう考えが変わるか分からないものだ。英語が好きなわけでもないし、生活に必要なわけでもない。自分でも今なぜ英語に力を入れようとしているのか、訳が分からない。
 しばらく職場では、もっぱら英語を学ぶことになりそうだ。


 先日、CNN ENGLISH EXPRESS は定期購読には至らないだろうと書いた。ところが今は、反対のことを考えている。
 スクリプトを見ると別段難しい英語でもないのに、どうも聞き取れない部分がある。音にしっかり追いついている場合でも、それが意味のまとまりとしてはなかなか認識されない。
 この域を脱するには、ネットで漫然とニュースを聞いているだけでは駄目かもしれない。意識的な訓練が必要である。
 定期購読するか否か、するとして必要な期間をどれくらいと見積もるか、もうちょっと考えてみたい。

一つの体、多くの部分【ギリシャ語】

 CNN ENGLISH EXPRESS はまだ CD を一回通して聞いてみただけだが、恐らく定期購読には至らないだろうと予想している。
 テキストをちょっと見る限り、親切すぎて煩わしい感じがする。


 久しぶりにギリシャ語を入力したくなった。コリントの信徒への手紙一12章12節から13節。
 新共同訳の方は、ネット上にあるテキストのコピペである。

Καθάπερ γὰρ τὸ σῶμα ἕν ἐστιν καὶ μέλη πολλὰ ἔχει, πάντα δὲ τὰ μέλη τοῦ σώματος πολλὰ ὄντα ἕν ἐστιν σῶμα, οὕτως καὶ Χριστός· καὶ γὰρ ἐν ἑνὶ πνεύματι ἡμεῖς πάντες εἰς ἓν σῶμα ἐβαπτίσθημεν, εἴτε Ἰουδαῖοι ἔιτε Ἕλληνες εἴτε δοῦλοι εἴτε ἐλεύθεροι, καὶ πάντες ἓν πνεῦμα ἐποτίσθημεν.

体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。

 最後のプネウマが対格に置かれているのは(「一つの霊を」)、受動態になって二重対格の一つがそのまま残されたからであるようだ。


 その昔、受洗後に代父さんから聖書のどの言葉が好きかと聞かれて、この個所を答えた。多様性と統一のいずれに力点を置くかでいかようにも利用できる言葉であるが、パウロは統一の方を強調しているようであるし、私は多様性の方に目を向けていたような気がする。
 多くの部分が一つの体であるのか否か。今はそのような方向には向かっていないのではないのか。