本の覚書

本と語学のはなし

エンキリディオン 小教理問答/マルティン・ルター

 宗教改革500年記念として訳されたルターの『エンキリディオン』。これまで『小教理問答』だけで出版されたことはあったが、『エンキリディオン』全体が一冊の本になったのはこれが初めてであるという。


 「小教理問答」の主たる部分は、十戒使徒信条、主の祈りをめぐる質問と回答である。キリスト教の根幹はこの三つに要約されるということだろう。
 更に、洗礼や懺悔や聖餐についても書かれている。洗礼と聖餐がプロテスタントにおいてもサクラメントとして認められているのは知っていたが、ルターは懺悔もそのようなものとして考えていたようだ。これは新しい発見である。

懺悔とはなんですか。


答え 懺悔には二つの部分があるのだ。ひとつは人が罪を告白することで、もうひとつは人が、懺悔を聴いてくださる方から赦免、すなわち赦しを神ご自身からのものとして受け取り、しかもこれを疑わずに、罪はこれによって天の父の前で赦されたのだと堅く信じるのだよ。(p.46-47)

 文体に疑問を持つ人もいるかもしれないが、これは子の質問に対する父の信仰告白としての答えであるという、徳善義和の説を反映したものである。


 「小教理問答」に続いて、「朝の祈り、夕の祈り、食事の感謝」「いくつかの聖句による家訓」「結婚式文」「(嬰児)洗礼式文」が載せられている。
 結婚はこの世の出来事であって、サクラメントではない。教会の口出しすることではない。しかし、婚姻する者からの依頼があれば、式を司ることを断ることはない。そういうスタンスであるようだ。
 一方、幼児洗礼ははっきりと認めている。プロテスタントの中でも幼児洗礼を行うか否かは意見の分かれるところだが、ルター派は今でも肯定的であるようだ。

TIME March 13, 2017

Time Asia [US] March 13 2017 (単号)

Time Asia [US] March 13 2017 (単号)

  • 発売日: 2017/03/04
  • メディア: 雑誌
 編集長 Nancy Gibbs より。

TIME will not attend regular daily briefings if the White House is excluding some reporters, a stance shared by other news outlets, including the Wall Street Journal and Bloomberg News.

 CNN やニューヨーク・タイムズが取材から排除されたことへの抗議である。

Famine, in technical terms, doesn’t just mean people are going hungry. It means they are already starving to death―two adults or four children a day per every 10,000 people. So by the time famine is formally declared, millions have already been suffering, perhaps for years: humanitarian agencies like Oxfam first warned about a looming famine in South Sudan back in March 2015. The last time famine was formally declared, in Somalia in 2011, most of the 260,000 victims had already died.

 国連は南スーダンで飢饉が発生したと宣言した。6年ぶりの宣言である。イエメン、北部ナイジェリア、ソマリアなども飢餓の淵にあり、今後も同様の声明がなされるかもしれない。
 だが、飢饉が宣言されたときには、既に遅すぎる。テクニカル・タームとしての飢饉とは、1万人当たり大人2人もしくは子供4人が日々餓死している状態を指すのであって、決して単に人々が食糧不足に苦しんでいるというだけのことではないのだ。

ヨルダン・シリア 聖書の旅/牛山剛、写真・横山匡

 聖書の舞台は現在のイスラエル領内に限られるわけではない。新約ではキリストの民はトルコから地中海方面へと進出していくし、パウロ目から鱗が落ちたのは今のシリアであったし、旧約時代、ヨセフはエジプトに売られてかの地で地位を得たのだし、かの地で増えたヘブライの民がモーセに率いられて到達したのは今のヨルダンであって、モーセの死後彼らはヨルダン側からヨルダン川を渡ってイスラエルの地に侵入したのである。
 だが、なかなかそれらの地を観光できるものではない。仮にお金と時間があったとしても、殊にシリアやヨルダンなどはほとんど素人の行ける所ではないし、今のシリアは危険すぎるだろう。
 そんなわけで、我々にとっては貴重な写真と紀行文である。ただし、旅の臨場感がじかに伝わってくるという点では、前に読んだ『トルコ・ギリシア パウロの旅』の方がはるかに優れているようだ。


 古本で買ったらヨルダンの入国審査カードが挟まっていた。ペトラ遺跡のところに緑の蛍光ペンで線が引いてあったので、実際に見に行ったのかもしれない。
 名前を検索すると、昨年亡くなった偉い牧師の方であった。聖書を学ぶ学校の学院長をする傍ら(もしくはその仕事の一環として)、聖書の世界に幾度も実際に旅していたようだ。

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