本の覚書

本と語学のはなし

イスラエル 聖書と歴史ガイド/ミルトス編集部

 観光ガイド。こういう本は拾い読みで済ませるべきであるが、貧乏性なので(性分だけでなく、実際にも貧乏であるので)、通読してみた。
 口絵以外の写真がカラーでないのは残念。地図ももうちょっと詳しくしてほしい。日本語がひどすぎる。あからさまに親イスラエルの姿勢を貫いている。誰にでもお勧めできるという訳のものではない。
 だが、それらを差し引いても、聖書時代を現代と結びつけて理解するには悪くはない選択である。


 実際に旅行をするなら、「地球の歩き方」なんかも持っていた方がいいのではないかと思うが、私は持っていないので責任をもって断言はできない。

グノーシスの神話/大貫隆訳著

グノーシスの神話 (講談社学術文庫)

グノーシスの神話 (講談社学術文庫)

  • 作者:大貫 隆
  • 発売日: 2014/05/10
  • メディア: 文庫
 ナグ・ハマディ文書、マンダ教、マニ教の神話を、実際に文献に当たりながら確認していくスタイルの入門書。一次資料に触れることが目的であるから、予備知識を持っておいた方がよい。
 さらに進みたい人のためには、現在では岩波書店からナグハマディ文書の翻訳が刊行されている。私も「聖書外典偽典」シリーズを終えたら読むつもりでいる。


 グノーシス主義は、人間は本来神であるとする、絶対的人間中心主義を特徴とする。現実の世界は課題とはならない。本来の自己という光に目覚めて救済される時、これを幽閉していた闇の現実世界は滅び去ることになるだろう。
 グノーシス主義を論駁しようとした古代キリスト教の弁証家たちが、必ずしもフェアであったとは言えないかもしれないが、「彼らがグノーシス主義の脅威に逆らって、目の前の現実の世界を放棄できない課題として受け取り続けた真摯さを否定することはできない。しかも、それはただ人間にとってだけではなく、神自身にとっての課題であるというのである」(p.321)。
 我々は常に「新約聖書そのもののメッセージまで回帰し、グノーシスの世界観と突き合わせながらそれぞれを批判的に読むこと」(p.322)を自らに課していかなくてはならない。

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ユダヤ戦記2/フラウィウス・ヨセフス

 著者のヨセフスはガリラヤを担当する指揮官であったが、ウェスパシアヌス率いるローマ軍の前に敗退し、洞穴に逃げ込む。ヨセフスの説得も空しく、一緒に逃げた仲間たちの総意は、そこで自決をすることに固まった。

 ヨセポス〔ヨセフスのギリシャ語形。歴史家として自分のことをも三人称で語る〕はこの窮地においても冷静さを欠くことがなかった。彼は守護者である神を信頼して身の安全を傍らに投げ捨てると、次のように言った。


「死ぬことに決めたのであれば、さあ、互いに殺戮をくじに委ねよう。最初にくじを引く者は次に引く者の手で倒れる。こうしてテュケー〔擬人化された運命の女神〕が全員の間を経巡り、各自が自身の右手の刃の上に倒れることがないようにしよう。なぜなら、他の者たちが命を落としてしまったのに、ある者が思い直して生きながらえることなどあってはならないからだ。」


 ヨセポスはこのように言って信じさせ、一緒にくじを引いて人びとを味方につけた。くじを最初に引いた者は次の者に殺戮を委ねる心構えをした。彼らは指揮官もすぐに死ぬものと確信した。ヨセポスと一緒に死ねるのは生きながらえるにまさる甘美なことと思えたのである。(p.91, Ⅲ387-90)

 ところが彼は残り二人となったところで(本人は神の摂理かと言っているけど、どうなのだろう?)、もう一人を説得してローマ軍に投降し、ウェスパシアヌスは将来ローマ皇帝になると予言して(遠からず的中した)、生きながらえたのである。


 エルサレムウェスパシアヌスの息子ティトゥスの前に風前の灯である。しかし、ユダヤ人にとって最大の敵は、ローマ人であるよりむしろ同胞ユダヤ人であった。ほとんど盗賊のような連中が内部で抗争を繰り返しながら、一般市民は彼らの剣と飢餓の前にバタバタと倒れていくのである。