- 作者:森 鴎外
- 発売日: 2013/02/27
- メディア: 単行本
日露戦争から戻った鷗外は、翻訳や「椋鳥通信」を通じて積極的に海外の文芸や思潮を紹介していくのだが、戯曲に関しても功労者の一人として数えるべき人のようだ。
実作はまあ、舞台に乗せるものとしてそれほど優れたものとも思えないが、自由になる時間が制限される中、その時間も切れ切れになることの多かったところで、一幕物が書きやすかったようで、これが西洋的な対話を主体とする演劇の導入に大きな影響を与えることになるのである。
鷗外はその風貌に関わらず和魂洋才の人ではない。女性の好みもおそらく西欧的な自立した女性に傾いている。「なのりそ」の耿子(てるこ)は、洋行から帰っても洋行には心酔しない、日本人の日本人たるところは飽くまで捨てないという男に対してこう言い放つ。
日本人の日本人たる所なんといふことは、それは誰だつて黙つて行つてゐれば宜しい事なのでございます。あなたの仰やるやうな事は極(ごく)物の分からない、頭の古い人が洋行して帰つても、丁度そんな風に申してゐますからね。それから横着な方が、今の反動の世の中で為事(しごと)をする為に頭の古い人の受けの好いやうに、あなたの仰やるやうな言草を、洋行土産に持つて来て、他人に配るものもありますわ。そんな人は皆駄目ですからね。(p.120)
鷗外の創作への逡巡と決意のようなものが垣間見れる文章も面白い。「建築師」はイプセンの『建築師ソルネス』の序文を書くよう頼まれた時の会話という設定であるが、それが当の戯曲の紹介から逸れ、老建築師ソルネスに重ね合わせて鷗外自らの現在を表明してしまうのである。
どうです。僕のソルネス臭い処が分かりましたか。ヒルデの昴も新時代の旗の下に立つてゐて、そして僕の処へ来て、色の褪めた僕の記憶を活けてくれたのです。(間。)僕だつて平生勉強して、自分丈(だけ)の家は新築してゐます。塔も立ててある。その塔に足場も掛けてある。併しじぶんでそれへ登らうとは思はない。塔の先へのあこがれはあつても、自分で登らうといふ決心はない。それをヒルデの「昴」が来てそそのかしたのです。(p.171)
「昴」というのは明治42年に創刊された雑誌のことで、これがために多くの作品を書くことになるのである。
最後に置かれた「灰燼」は長編になるべきであった小説の、中途で断筆されたものである。完成していれば頗る物騒な展開があったであろうが、そういう部分は書かれずにしまった。
主人公が下宿している先の主人は、恐らく西周をモデルにしているのだろうが、彼の晩酌にこんな評が付く。
あの主人の晩酌が此頃次第に神経に障つてきた。初に此家へ来た時に、珍しい平和の画図に対したやうに驚きの目を睜(みは)つた、あの晩酌が一日一日と厭(いや)になつて来たのである。主人は役所に出て、その日の業を果たして帰つて、曇のない満足の上に、あの酒を澆(そそ)いでゐる。その日まで経過して来た半生の事業、他人の思想の上に修辞上の文飾を加へた手工的労作を、主人は回顧して毫(すこ)しも疚しいとは思はないで、それにあの酒を手向けてゐる。あの晩酌は無知の天国である。その天国が詛(のろ)ひたくなつて来たのである。(p.223-224)
先月、キリスト教以外の文化にも触れるために漢詩を始めたと書いたが、もうやめた。その代りに始めたのが、森鴎外である。年々年々衰え行く私の日本語能力を回復させるのに、一番の良薬であるに違いない。
ただ、併読してる本がたくさんありすぎて、今後も続けていけるのかどうか、何とも言えない。