読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

本の覚書

本と語学のはなし

旧約聖書Ⅹ 十二小預言書/旧約聖書翻訳委員会訳

旧約聖書〈10〉十二小預言書

旧約聖書〈10〉十二小預言書

 聖書の中でも最も読まれないかもしれない十二小預言書。
 しかし、ヨナ書の内容を聞けば、誰でもがピノキオを思い出すだろう。ニネベに改心を迫るよう神の言葉を託されたヨナは、ニネベに行くことを恐れ、それとは逆方向の西へと逃げる。船に乗ると大嵐に会い、神の怒りの原因として海に投げ込まれる。だが、神は大魚に命じてヨナを呑み込ませた。彼はその腹の中で三日三晩過ごし、その後陸地に吐き出されると、ようやくニネベに向かって改心を呼びかけた。ニネベは悔い改めた。そして破滅を免れた。ヨナは神に対して怒った。神は言った。

「あなたは自分で苦労することもなく養育もしなかったのに、一夜にして生え、一夜にして失せた唐ごまの木を惜しんでいる。ましてわたしが大いなる町ニネベを惜しまないだろうか。そこには右も左もわからない十二万人以上の人がおり、また多くの家畜もいるではないか」(ヨナ4 :10-11)

 ちなみにイエスは、彼の時代にはヨナの徴の他には何の徴も与えられない、と言っている(ルカ11 :29、マタ12 :39)。マタイはこれを「三日三晩」というところと関連させて、死後三日目のイエスの復活のことと解釈している。ところが、大貫隆はこれはそのような自己言及ではない、ヨナ書全体のストーリーを思い出すことが必要だ、と言う。「どうして私がこの大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか」という神の言葉の引用に続けて、大貫は断じる。「イエスはこのヨナの徴しか、自分の目の前の世代には与えられないというのである。明らかに、イエスの宣教ははかばかしい成果を挙げなかったのである。しかし、神は忍耐してくださる。それがイエスの元気の源であった」(『イエスという経験』p.117)。


 新約(または新約時代の人々)にとって小預言が決して小さなものではなかったことを示すために、もう一つマラキ書の最後の部分を引用しておく。

見よ、わたしはあなたがたに、
預言者エリヤを遣わす。
〔それは〕大いなる恐るべき、
ヤハウェの日が来る前に〔である〕。
彼は、先祖たちの心を子らに、
子らの心を彼らの先祖たちに向けさせる。
わたしが来て、この地を撃ち、
聖絶をもたらすことがないように。(マラキ3 :23-24)

 ただし、解説によればこの部分は編集によって後に加えられたもので、マラキ本人にさかのぼることは出来ないようだ。

参考文献

イエスという経験

イエスという経験

広告を非表示にする