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本の覚書

本と語学のはなし

短歌研究/2015年7月号

短歌研究 2015年 07 月号 [雑誌]

短歌研究 2015年 07 月号 [雑誌]

 「短歌研究」7月号に目を通した。
 文章はまあ面白く読んだ。結社誌へのアンケート結果をもとに時評を考えるという特集では、結社の内情を垣間見ることができた。高齢化、世代間の短歌観の相違、地方の保守性など、いろいろと問題はあるようだ。
 作品季評というのを栗木京子、坂井修一、後藤由紀恵がやっていて、しきりに「甘い」という言葉が出てくるのだが、私には何が「甘い」のか分からないながらも、これも面白かった。というより、批評対象より批評の方がずっと面白い。

 問題は短歌作品がよく分からないということである。
 文語で書かれたものの意味が取れない、意味が取れても理解できない、良さが分からない。それだけならまだいいのだけど、口語で書かれたものすら意味が取れない、意味が取れても理解できない、良さが分からない。
 短歌の大方は私にとって秘密の呪文のようなものであって、私にはそれを口に唱えることも解析してみることも許されてはいない。

   唱えよパレオパラドキシア 星を招ぐ呪文に似たる古代獣の名を*1  井辻朱美

 私の短歌の季節は終焉した。
 来月、短歌の目に参加できるかどうかは分からないけど、参加するとしたらゆるゆると力を抜いて(手を抜くということではなしに)、くすっと笑えるものを目指して即興で作ってみたい。


 そうそう、今月の短歌の目には短歌倶楽部の人たちがたくさん参加していた。お題なんかなくても日々短歌を生み出す部員の人たちの活動を見ていると、私などは全然短歌を好きでなかったのだなと思う。
 私の領域はあくまで散文である。また小説を書くのか、エッセーみたいなのに挑戦するのか、キリスト教か語学のことを掘り下げてレポートするのか、これまで通りのブログの記事で満足するのか知らないけど、私が誰に言われなくとも楽しんでできるのは、散文を書き連ねることだろう。

*1:「招ぐ」は「おぐ」と読むようだ。

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