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本の覚書

本と語学のはなし

緑の眼の少年 ―【第8回】短編小説の集い―

 起承転結で書いてみました。
 超常現象が起こるような話、オチのあるような話は好きでないはずなのに、自分で書くとなると平気なものなのですね。びっくりしています。ラストはオチになっていないと言われれば、そうかもしれませんが。

緑の眼の少年

9月1日
 二学期初日、ソラという男子が転校してきた。
 かっこいいスニーカーを履いてる。「陸上部に入って、長距離をがんばりたいです」って自己紹介してるじゃん。この細身の体型、なかなかやりそうだよ。やばいな。
 校内マラソン大会のライバル出現だ。ぼくがサッカーの足技を磨いている間にも、ソラは黙々と走り続けるんだろう。専門家だからな。一年生の時から守り続けてきた学年一位の座も、うかうかしていると危ういってわけだ。
 ああいや、こんなことを書こうとしたんじゃなかった。

 ソラは緑の眼をした少年なんだよ。
 白い眼ってのはあるよね。気に入らない時にするやつ。白目を剥いた人はどっかで見たことあるけど、白い眼ってどうやるんだろう。よくわかんないな。
 でも、もっとわかんないのが青い眼ってやつだ。喜んで人を迎えるときにするらしいよ。しかも、誰だって青い眼を持っているって、昔々のえらく暇な、でもとても偉いおっさんが言ってるらしいんだ。パパがそう言うんだから間違いない。
 だからまあ、緑の眼だからって特殊なことではないと思うんだ。

 緑ってどんな色なんだろうね。赤じゃないってことは確かだ。
 昔パパがフランスを一人で旅したんだって。で、カフェに入ってワインを頼んだんだって。なんでもパリのバスティーユ広場というところの、七月革命記念柱の真向かいにあるところでね、夕闇の中に青白く照らされた柱を眺めながら、一杯ひっかけようとしたんだよ。
 ワインは赤だ。赤はルージュだ。ルージュを頼んだんだ。そしたらうら若いウェイトレス(パパはマドモワゼルって呼ぶ)がヴェルかって訊くんだ。ヴェルはフランス語で緑のことなんだって。
 おお、本場には赤でも白でもロゼでもなくて、緑のワインがあるのかって一瞬思ったけど、まさかね。それで、緑じゃない、赤だって言い張ったんだけど、全然通じない。
 そこでパパもようやく気が付いたんだ。ヴェルはヴェルでも、マドモワゼルが言っているのは緑じゃなくて、グラスのことだって。綴りはもうまったく違うんだけど、発音は一緒らしいんだ。
 パパはカフェで一人で飲むのに、ボトルを頼む人があるなんて思いもしなかったって言い訳してるけど、実はパパもそんなにフランス語が得意じゃなかったんだね。
 だから、緑は絶対赤じゃない。似ているけど、グラスでもないんだ。
 じゃあどんな色かっていうと、なんだろうね、涼やかで気持ちを落ち着けてくれる色なんだろうね。ソラもきっとそんなやつなんだと思う。


9月20日
 ソラは静かなんだ。落ち着きすぎるくらい落ち着いていて、しかもあの緑の眼だから、友達ができない。でも、ぼくは好きなんだよな。なんかちょっとパパのような雰囲気もあって。
 教室じゃ、ぼくしか声をかけない。ぼくは算数が苦手だから、宿題を教えてもらうっていうだけなんだけどね。
 例えばさ、長さ85mの新幹線が時速144kmで走っています。この電車がトンネルに入ってから通り抜けるのに23秒かかりました。トンネルの長さは何mでしょう、なんて言われてもちんぷんかんぷんなんだな。
 ソラは決して速くはないんだけど、一つ一つ着実に解きほぐして答えを導いてくれるんだ。正解は835mらしいけど、本当に合ってるのかどうかもぼくにはよくわからないよ。でも、そう言うぼくに、ソラはちょっとはにかみながら、ちょっと誇らしげな顔をしてみせるんだ。
 陸上部でもソラはずっとうつむきながらグラウンドをゆっくり走ってるばかりで、周りとはあんまり打ち解けてないみたいだ。ぼくはサッカーの練習をしながら、ソラの走りをよく目で追うんだけど、なんだかアスリートっていうより哲学者みたいなんだな。

 それで今日は休みを利用してソラを家に招待したんだ。
 実は去年の誕生日にボードゲームを買ってもらってね。犯人と凶器と犯行現場を当てるという推理ものなんだけど、サッカー部のがさつな連中とやっても全然楽しくなくて、頭の切れるやつを探してたところなんだ。
 まったく素晴らしかったよ。用意したジュースとポテトチップスには目もくれず、隣の犬がワンワン吠え続けても気にもせず、ぼくたちはゲームに没頭したんだ。想像してたとおり、ソラはすぐにルールを飲み込んで、すぐにぼくを負かすようになったよ。いや、ぼくも決して負けてはいなかったけどね。つまり、五分五分のいい勝負をしたってことさ。
 外が暗くなってきた頃、ぼくたちはようやくゲームをやめて、ジュースに手を伸ばしたんだ。そしてポテトチップスを頬張った。
 ところがだよ、そのポテトチップスは塩味だったんだけど、全然塩気がないんだ。ただのジャガイモのスライスの素揚げだよ。
 「なんだい、これ」。すると、ソラがはっと狼狽したんだ。ソラはそのまま隠してたってよかったんだ。ただの不良品で済ませることもできたんだ。でも、ソラはぼくみたいな友達を持つのは初めてだったんだね。だから、自分の秘密を正直に打ち明けようと思ったんだよ。

 ソラの秘密というのはこうだ。ソラのあの緑の眼でね、右斜め45度くらいの角度できっと睨むように何かを見つめると、その何かが外見はそのままに、その何かの特徴を失ってしまうというんだよ。
 だから塩を睨めば塩は塩味を失う。ただの白い粉になるんだよ。
 もちろん普段はそんなことにならないよう、細心の注意を払っているんだよ。けどね、夢中でゲームをした後、ちょっと空腹を覚えて、でも自分からポテトチップスに手を伸ばすのははしたないような気がして、ついつい右斜め45度の角度できっと睨むように見つめてしまったんだね。
 「ひょっとして、あのうるさい隣の犬も、ソラが睨めばおとなしくなるのかな」。たぶん。そうなんだ、たぶんできるんだ。でも、さすがに実際にやって見せてくれとは言えなかったよ。
 そして、約束した。この秘密は絶対に、絶対に口外しないって。口外したらぼくはハリセンボンの春菜と結婚しなくちゃならない。


10月10日
 校内マラソン大会だ。一年生の時から五年生まで、ぼくがいつでも学年で一番だった。
 でも今年はとうとう負けてしまった。ソラがすごいんだ。練習ではいつもゆっくりとしか走ってないみたいなんだけど、というか、本番でもそんなにスピードがあるというわけでもなかったんだけど、全然疲れないみたいなんだな。
 ずっとぼくについてきて、最後に悠々と抜き去って行ったよ。ほんの少し入れ替えただけのギアに、ぼくはとてもついて行けなかった。完敗だ。
 でもね、それはそれでいいんだ。あんな走りで負かされたら、かえって気持ちがいいんだ。
 応援に来ていたパパだって、ソラのことをほめていた。ぼくはソラと友達になったことを誇りに思ったくらいだよ。

 くそっ。でも、胸がムカムカするんだ。
 メグのやつだよ。「なによ、だらしない。意気地なし」って言うんだよ。勝手に彼女づらするんじゃない。いやまあ、彼女なのかもしれないけど、ぼくは尻を叩いて旦那を出世させる世話女房みたいなのは嫌いなんだ。ぼくはほめられなきゃ伸びないんだよ。
 「運動のできないカナタなんて、いったい誰が好きになるっていうのよ」だって。二位になったくらいで、運動ができないとかレッテルを貼るな。ぼくはできるんだよ。できるけど、ソラがもっとすごかっただけなんだよ。
 「わたしもソラくんとお話ししてみよっかな」だと。そりゃあソラはいいやつだよ。みんな偏見を持ちすぎてるんだ。この際ちゃんと話をするべきだよ。でも、そういうのじゃないんだ。ああ、なんて欲深い種族なんだ、女っていうのは。
 お前なんか、お前なんか、ソラに睨まれてその毒々しい性格をまっさらにしてもらえばいいんだ!


11月1日
 ぼくたちのところでは、日に日に平和が広がっています。ぼくたちの浮ついた季節もようやく終わりを迎え、みんな大人の階段を昇りはじめたのでしょう。
 メグもおしとやかになって、お人形さんみたいで、ぼく、大好きです。
 ぼくたちの平和な空気は、隣の犬だって平和にしました。もう吠えたりしないんです。
 なんて世界は美しいんだろう。

 でも、一つ悲しいことがあるのです。
 パパがなんだかパパじゃないみたいなんです。家を出ていくって言うんです。
 ママはいい歳をして醜い欲望に溺れたんだなんて言っていますが、本当でしょうか。ぼくがメグに欲深い種族とか言ってしまったばちが当たったのでしょうか。メグは本当はあんなに素敵で知的で天使のような女性だっていうのに。
 どこに行くのと聞いても、パパは答えてくれません。ただ「行かなくてはならないのだよ」と言うばかりです。
 昨日、たった二か月でソラが遠くへと引っ越していったばかりなのに、とても寂しくなります。

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