本の覚書

本と語学のはなし

ブログのこと

インターネットに接続できない事態発生。プロバイダを変更せざるを得なくなる。世の中、ずぼらな人間たちのつけをそうでない人たちが払うように出来ている。
しばらくブログは読了本の書誌情報をアマゾンから引っ張るだけにする。コメントはつけるとしてもごく簡単に。

▼宗教について公には甚だ書きにくい。大多数の人から迷妄の虜と思われるのはまだよいが、正統派のクリスチャンからこっぴどく譴責されそうで怖い。
▼聖書学や史的イエスについて私のレベルは中途半端。背伸びをしても詳しい人には片腹痛いだろうし、ずぶの素人のために懇切丁寧に解説できるほどの力量もない。
▼英語やドイツ語の本を咀嚼もせずにブログで紹介する意味はない。

▼ブログを始めた当初は、文章の訓練とか読書のモチベーションという意味もあった。鹿島茂の『成功する読書日記』(文藝春秋)を読んで触発されたのである。
▼ブログではむしろ文体が固定されて甚だ面白くないことだと、ずっと以前から感じていた。
▼今、本を読むためにブログを必要としているだろうか。老い先の短さが見えて来て、そちらの方が私の読書を規定しているような気がする。

▼どんな形で復活するのかまだ分からないし、復活しないのかもしれない。
▼ごく個人的で断片的なメモしか書けないと思うが、それはただ自分のためだけにノートに手書きするべきなんじゃないかな。
▼それとも、ネットから遮断されることで、元来の私の傾向である閉じられた人間へと退行していきたい衝動が、一時的に優勢になったというだけのことだろうか。