本の覚書

本と語学のはなし

決定版一億人の俳句入門/長谷川櫂


 社会人になったばかりの頃、もう何をする時間もないだろうから、本は二三冊に絞って繰り返し読もう(具体的には『徒然草』や『方丈記』など)、創作などと大それたことはできないから手慰みに俳句でも作ろう、と思ったことがある。当時読んだ俳句入門に、できるだけくっつきそうにないものを取り合わせて詠むべし、というアドバイスがあった。例えば、靴下に穴が開いたという情景がある。歳時記を調べる。節分でも一緒にしておけば、あとは読者が想像してつなげてくれるだろう。「靴下の穴穿ちけり鬼やらひ」。ばかばかしくなって俳句は作らないことにした。
 だが、どうやらあのアドバイスは誤っていたらしい。俳句には、一つのテーマだけで構成される一物仕立て(「ひやひやと壁をふまへて昼寝哉」芭蕉)と、異種のものを一つの句に収める取り合わせ(「此秋は何で年よる雲に鳥」芭蕉)の二種類がある(それしかない)。靴下云々は取り合わせの句だ。取り合わせにおいて肝要なのは、衆人を驚かせる新奇な組み合わせではなく、つき過ぎず離れすぎず、これ以外に動かしようのないたった一つの言葉を探すことであるという。それはそうだろう。無限に離れていくのがいいのであれば、「犬の糞転がりをりて追儺かな」とでもした方がずっとましな句になるだろう。
 今更俳句を作る気にはなれないが、定型、切れ、季語に関するうるさい決まりを根本に遡って説明してくれるので、鑑賞のためには有益な本だ。俳句は十五字というより、十五拍の文学と考えるべきで、字余りはたとえば六字を五拍で読む。字足らずは余白の一拍を加えて読む。季語は想像の賜であり、悠久の時間と空間を内蔵した宇宙である。現実に対する規範としてすらはたらく。こうしたいろいろの発見があるのだ。
 句例は芭蕉のものが圧倒的に多い。芭蕉だけが俳句の唯一の規範であるという。

決定版1億人の俳句入門 (講談社現代新書)

決定版1億人の俳句入門 (講談社現代新書)