本の覚書

本と語学のはなし

「ジェルミナール」シンプルに

 エティエンヌは殺されなかった。彼が疲労と苦悩のために倒れたカトリーヌの側で相変わらず待ち受けていると、辺りを鳴り響かせるような声が起こってぶるっと身震いした。その声の主は弥撒を唱えた帰りのランヴィエ師で、両腕を宙に挙げ、予言者のような狂熱状態で、人殺しどもの上に神の怒りを呼んでいた。彼は正義の新紀元が到来すること、ブルジョワジーが労働者とこの世の幸薄い人々を虐殺せしめていやが上にも己が罪悪を盛り上げたからには、間もなく天の火によって根こそぎにされることを告げていた。(下p.89)


 忙しさも落ち着いてブログ更新頻度も高くなるだろうと言っておきながら、ずっと書きそびれていた。
 この1週間を振り返ると、木曜日に塾の授業が終了。そのまま飲み会。半ば強制的に散財をさせられると、ふだん倹約している意味がない。次回からは断ろうと思う。始まりが遅いので終わるのも遅い。朝方に帰宅して、それ以降生活のリズムが大いに乱れる。
 昨日は高校部の夏期講習の打合せ。明日から授業が始まる。暫くは夜に1コマ(普段より長めの80分)あるだけ。私ならば基本文の暗唱を是非させたいところだが、とにかく問題をたくさんやること、それが担当者の成功体験の指示するところであるらしい。演習中心の授業になる。高校生は一流大学を目指す人から、専門学校に行くので勉強を頑張るつもりのない人までいて、レベルの差が大きい。クラス授業をするのは難しい。
 2学期の授業担当は正式にはまだ決まっていないが(したがって収入がどうなるかも分からない)、中学部に専念することは間違いないので、通常の授業で使う(といっても、レベルが高すぎてほとんど使われない)高校部のテキストは、昨日返してきた。


 少しは暇になるはずなので、時間の使い方を考えている。夏で暑いせいもあるけど、いつも行きつくのはシンプルにしようということ。現在の結論は、日本語で書かれたもの、フランス語で書かれたもの、英語で書かれたものを1種類ずつ読むというもの。わざわざ頭を使って考えるまでもないことだけど。
 歴史の参考書なんかは、日本語で書かれている限り和書のカテゴリーに入るので、通読なり拾い読みなりする間は、他の和書には手を出さない。毎日少しずつなどという読み方は金輪際きっぱり(かどうかは分からないが)捨て去る。タイム誌を読んでもいいが、その日は英文学のことは諦める。今後は文学中心になると思うけど。余力があればドイツ語やギリシア語やラテン語や古文も読みたいが、気が向いたときだけでいい。
 そんなわけで、現在読んでいるもの。日本語でゾラ『ジェルミナール』(かなりブランクがあったので人名の記憶があやしい)、フランス語でゾラ『居酒屋』、英語でオースティン『自負と偏見』。


 あと、何か書くことも考えよう。