本の覚書

本と語学のはなし

『サテュリコン』


ペトロニウス『サテュリコン 古代ローマの風刺小説』(国原吉之助訳、岩波文庫
 少なく見積もっても原典全体の5分の1しか現存していないようだし、現存部分も欠落がひどかったり、意味不明であったり、現在となっては分かりにくい風俗や風刺もあったりする。古典として読む覚悟は必要だろう。
 しかし、ネロ帝後期の乱熟したローマ文化を感じるのに、こんなにいい本はない。成り上り解放奴隷トリマルキオンの想像を絶する饗宴や放縦な性描写(BL好きの人もどうぞ)など、単なる資料的価値を超えて十分鑑賞できると思う。
 気のせいかもしれないが、『魔の山』でハンス・カストルプが十二宮に夢中になるところがあるけど、あれは『サテュリコン』64ページ以下の記述を意識して、肉体的原理への傾斜を示唆しているのではないだろうか。ヘルメス神の使い方も気になる。まあ、気のせいかもしれないのだけど。

 元来ギトンはぼくよりもはるかに人と協調しやすい性格だったので、まずエウモルポスの眉間につけられた傷口にオリーブ油を含ませた蜘蛛の巣をあてがい、流れていた血をとめた。(p.182)


 もうひとつ、セネカの『アポコロキュントシス 神君クラウディウスのひょうたん化』が収められている。クラウディウス帝が死後天上界で神となることを拒否され、冥界へ連れて行かれるという話である。解説ではネロ帝に対する教育的意図を強調して、セネカへの人格攻撃に反論しているが、それでは全然この作品は面白くなくなってしまうのではないだろうか。それこそセネカのひょうたん化になってしまう。
 この小品は学生時代の授業で取り上げられたことがあるけど、読み終わる前に私は遁走した。そういう苦い思い出も、いつの間にかもう胸を刺さなくなっていた。