本の覚書

本と語学のはなし

『魔の山』


トーマス・マン魔の山』上・下(高橋義孝訳、新潮文庫
 ハンス・カストルプがダヴォスにあるサナトリウムにいとこの見舞いにやって来て、自身も結核と診断されそのまま居着き、第一次世界大戦の開始とともに平地に戻るまでの7年間の長大な記録。
 サナトリウムでの日常だから、強烈な筋があるわけではない。ショーシャ夫人に恋をし、セテムブリーニとナフタの議論(私たちから見ればやや古色蒼然としているが)に耳を傾け、ヨーアヒムやペーペルコルンやナフタらの死を見届ける等々といったことはある。フリーメーソン(セテムブリーニはフリーメーソンである)を始めとして、いろんな知識が詰まっている。教養小説的な趣きはある。しかし、核となるのは意識における時間の流れである。時間そのものがもう1人の主人公であるといってもいい。最初はごく短い区切りを持っていた時間が、1単位に含まれる物理的時間を長くしながら、段々と緩慢に流れるようになっていくのである。なんとも偉大なる引きこもり文学だと私は思う。
 私の読書も、その時間意識を追体験するような形で進められた。最初は頭をほてらせながら濃密な時間を感じて読み、最後には半分くらい感覚を失いながら惰性で流していく。どっぷりと時間の中に身を沈めて、やがて中学生の頃のような身体感覚を錯覚するところまで行きついたのだった。


 ところで、池澤夏樹はこの作品にヨーロッパ共同体の萌芽を見ていた。サナトリウムにはヨーロッパ中からあらゆる国籍の人が集まり、ドイツ語のみならずフランス語も共通語として通用するし、ラテン語を解する者も多くいる。他の国から見られたドイツについての言及も多々あり、ヨーロッパとしてのドイツということも意識されていただろう。だが、セテムブリーニの思想がアジア的なものを排斥していたように、ヨーロッパの外に対してはまだ全く理解を欠いたものであった。

 彼女〔ショーシャ夫人〕はそっと目配せするように眼を閉じて、彼〔ハンス・カストルプ〕の方へ顔を差しだした。彼はその額に唇をつけた。マレー人は動物のような褐色の眼をぎょろりと横に動かして、白眼をむきだしてこの情景を監視していた。(下p.593)

魔の山(上) (新潮文庫)

魔の山(上) (新潮文庫)

魔の山 下 (新潮文庫 マ 1-3)

魔の山 下 (新潮文庫 マ 1-3)