本の覚書

本と語学のはなし

Die Verwandlung


 ドイツ語を続けるかどうか決着がついたわけではないが、まだ放棄はしていない。英語やフランス語の足を引っ張らないかどうかとなれば、引っ張るには違いない。
 ドイツ語の原文を読む際に、池内訳を参考にするべきでないことはよく分かっている。相変わらずいらいらしながら訳文を読んでいるのが、よけいいけないのかもしれない。

 Denn tatsächlich sah er von Tag zu Tag die auch nur ein wenig entfernten Dinge immer undeutlicher;

 ところが日ごとに視力が薄れていって、さほどはなれていないものが、ますますぼやけてくるのだった。(池内訳,53頁)


 虫になったグレーゴルは窓から外を眺める。だがそれは、明らかに、かつてそうすることで感じていた自由の記憶を追ってのことである。という文章に続く部分で、「denn」を「ところが」としてしまっては、つながりがおかしくなる。「offenbar(明らかに)」に呼応して、その理由を示す文章と見るべきではないか。前回も感じたことだが、池内は作者の思考の流れに鈍感なのかも知れない。
 それから、「視力が薄れていって」に対応する原文は存在しない。補う必要のある文章ならともかく、なくていいものは原文通りにしておいてもらいたい。
 まだ高橋訳も丘沢訳も手元にあるが、今日は高橋訳だけを書き抜いておく。

 つまり、ほんのちょっと離れたところにあるものでも、日ましにその輪郭がしだいにぼやけるようになっていったからである。(高橋訳,48頁)