●安部公房『壁』(新潮文庫)
中学を卒業した日に、君の中学時代の一冊を選びなさいと言われたら、この本の名前を挙げたかもしれない。あれから随分時間は経つ。とらぬ狸だのバベルの塔だの針の穴などは容易に通れるらくだのこと以外何も記憶にないにもかかわらず、異様に興奮したことだけはよく覚えているのだ。
その後も『砂の女』や『箱男』や『水中都市・デンドロカカリヤ』など、安部公房の本は好んで読んだ。不思議と内容は覚えていないが、悲愴感のないドライでシュールな世界が結構好きだった。
しかし、覚悟はしていたが、今読んで夢中になれるものではない。労働者が溶け出し大洪水が起きたとしても、もはや純粋に楽しむことはできず、解釈の色眼鏡が必要である。あの頃はきっと知的な遊戯に幻惑されていたのでもあろうが、弁証法だのニイチェだのバベルの塔だの、今ではそういう小道具にわくわくできなくなってしまっている。
自分の葬式をやっているような気分で読んだ。