本の覚書

本と語学のはなし

『ヘミングウェイのパリ・ガイド』


今村楯夫ヘミングウェイのパリ・ガイド』(小学館
 『日はまた昇る』や『移動祝祭日』を読むときに、手元にあると助かる本。
 例えば、『日はまた昇る』のシーン。ジェイクとビルがサン・ルイ島のマダム・ルコントのレストランで夕食を食べ、その後左岸へ渡り、カルチェ・ラタンを抜けてモンパルナスへと至る。高見浩訳から引用してみる。


 島のオルレアン河岸の側に茂っている木々の下を、ぼくらは歩いていった。(中略)
 ぼくらはそのまま進んで、島をぐるっとまわった。セーヌは暗く静まりかえっていた。明るいイルミネーションで飾られた遊覧船が一隻、素早く、音もなく通りすぎたと思うと、橋の下に消えて行った。下流には、ノートルダム寺院が夜空を背にうずくまっている。ぼくらはベチューヌ河岸から木造の歩道橋伝いにセーヌの左岸に渡り、橋の途中で立ち止まってノートルダム寺院を眺めた。島は薄暗く、夜空に高く家々がそびえ、木々が黒い影を描いていた。
 (中略)
 二人して木造の手すりにもたれかかり、上流の大きな橋の灯を眺めやった。(中略)
 橋を渡って、カルディナル・ルモアーヌ通りをのぼっていった。険しい坂道だが、そこをのぼり切ってコントレスカルプ広場に出た。


 パリの地図を眺めながら、私は二人が渡ったのはトゥルネル橋だと思っていた。カルディナル・ルモアーヌ通りに直接通じる橋であり、それが普通のルートだからである。トゥルネル橋までがオルレアン河岸、その先がベチューヌ河岸であるから、記述が不自然であるとは思っていたが、気にしていなかった。
 ところが『パリ・ガイド』を見たら、実は私の読みと彼らのルートが不自然だったことが分かった。よく読めば、「ぼくらはそのまま進んで、島をぐるっとまわった」とある。トゥルネル橋を通り越して、その先のシュリー橋を渡ったのである。だから「上流の大きな橋」とはシュリー橋ではなくて、オーステルリッツ橋だということになる。


 セーヌに架かる橋が二〇世紀に木製だったことはありえない。しかし、二〇年代、シュリー橋が一時期、工事のために仮の歩道橋が渡されていたことがある。ヘミングウェイはあえてこの仮橋に、二人を立たせ、情緒あふれる木製の欄干からパリの夜景を楽しませたのだ。(94頁)


 今村はそう指摘する。少しくらいの遠回りは関係ないのだ。そして、彼らがカルディナル・ルモアーヌ通りをのぼって辿り着いたコントレスカルプ広場のあたりこそ、ヘミングウェイの最初のアパートのあったところである。


 なお、後ろから眺めたノートルダム寺院の写真は、2007年10月30日の日記に貼り付けてあるので、興味のある方はご覧ください。多分これはアルシュヴェシェ橋から撮影したもの。