本の覚書

本と語学のはなし

Also sprach Zarathustra


 『ツァラトゥストラ』を読んでいると、ドイツ語の2格(所有格とか属格と呼ばれることもある)の使い方が何ともいえず郷愁に似た思いを誘う。


□Hier genoss er seines Geistes und seiner Einsamkeit und wurde dessen zehn Jahre nicht müde.


■そこでみずからの知恵を愛し、孤独を楽しんで、十年ののちも倦むことを知らなかった。


 最初の「seines Geistes」(魂、知恵)と「seiner Einsamkeit」(孤独)は、動詞「genoss」(享受する)が要求する2格の目的語。翻訳ではそれぞれに別の動詞を当てているが、原文では一つだけ。
 次の「dessen」(それ)は、ちょっと離れた形容詞「müde」(疲れた)に支配された2格。この「dessen」は指示代名詞「der」の中性単数2格で、直前の文章全体(知恵と孤独を享受すること)を受けているのだろう。翻訳ではあえて表に出してはいない。
 なお、昨日も書いたが、「zehn Jahre」は期間を表す4格なので、「十年の間」とするのが正しい。しかし、無知による誤訳とは信じがたい。「十年ののちも」としたのは翻訳上の工夫であるのだろう。実際には、十年の後に飽きてしまい、次のような文章が出てくることになるのだが。


□Siehe ! Ich bin meiner Weisheit überdrüssig, wie die Biene, die des Honigs zu viel gesammelt hat, ich bedarf der Hände, die sich ausstrecken.


■見てください。あまりにもたくさんの蜜を集めた蜜蜂のように、このわたしもまた自分の貯えた知恵がわずらわしくなってきた。いまは、知恵を求めてさしのべられる手が、わたしには必要となってきた。


 2格のオンパレードだ。
 「meiner Weisheit」(知恵)は形容詞「überdrüssig」(飽きた)の、「der Hände」(手)は動詞「bedarf」(必要とする)の2格目的語
 「des Honigs」(蜂蜜)だけはちょっと性質が違う。英語で「much of 〜」というときの「of」の役割に似た、部分を表す2格である。「zu viel」(あまりにたくさん)にくっ付く。「viel」の前に出て、しかも「zu」を間に挟むので分かりにくいかもしれない。


 余計なことを並べてしまった。実はこの文章は、学生時代の友人のF君を思い出しながら書いている。
 彼は自分の才能を信じてはいたけど、あまり勉強しなかった。特に語学はだめだった。それでも、『ツァラトゥストラ』くらいは読めると言っていた。
 確かに比較的簡単なドイツ語で書かれている。でも、たとえば最初の文の「dessen」とか、次の文章の「des Honigs」とかを見ると、F君は果たしてこれらをきちんと理解しながら読むことができただろうかと心配になる。
 未だに『ツァラトゥストラ』を読むときには、いつもF君に対して少し意地悪い気持ちを抱いてしまうのである。