本の覚書

本と語学のはなし

「仏道」

 しかあれば、仏道の功徳・要機、もらさずそなはれり。西天より東地につたはれて十万八千里なり。在世より今日につたはれて二千餘載、この道理を参学せざるともがら、みだりにあやまりていはく、仏祖正伝の正法眼蔵涅槃妙心、みだりにこれを禅宗と称ず。祖師を禅祖と称ず。学者を禅師と号す。あるいは禅和子と称じ、或禅家流の自称あり。これみな僻見を根本とせる枝葉なり。西天東地、従古至今、いまだ禅宗の称あらざるを、みだりに自称するは、仏道をやぶる魔なり、仏祖のまねかざる怨家なり。
(中略)
 しかあるを、仏々正伝の大道を、ことさら禅宗と称ずるどもがら、仏道は未夢見在なり、未夢聞在なり、未夢伝在なり。禅宗を自号するともがらに仏法あるらんと聴許することなかれ。禅宗の称、たれか称じきたる。諸仏祖師の禅宗と称ずる、いまだあらず。しるべし、禅宗の称は、魔波旬(まはじゅん)*1の称ずるなり。魔波旬の称を称じきたらんは魔儻なるべし、仏祖の児孫なるべからず。(道元「仏道」)

*1:魔の仲間。