本の覚書

本と語学のはなし

【フランス語】秘匿問題【エセー1.23/22】

 モンテーニュ『エセー』第1巻第23章(1592年版では第22章)「習慣について。容認されている法律を容易に変えないことについて」より。

Où la plus desirable sepulture est d'estre mangé des chiens, ailleurs des oiseaux. (1.23/22)

もっとも望ましい埋葬が、犬に食べられることである土地もあれば、鳥についばまれることである土地もある。(p.183)


 慣れてしまえば、本当は奇妙なことかも知れないことも、すんなり受け入れられるものである。ハンカチで鼻をかまず、手で鼻汁を受け止めるフランス貴族の自己弁護に、モンテーニュも半ば説得される。
 文化人類学者の遠い祖先でもある彼は、遠く離れた世界での奇妙な風習を紹介する。理に叶ったものもあれば、唾棄すべきものもあるかも知れないが、コメントは付けずに羅列するのである。

また別の場所では、商人が結婚する場合、婚礼に招かれた商人たちはみな、ご本人に先立って、新婦と寝るのだ。そして、その数が多ければ多いほど、タフで、能力がある女性だという名誉と評判を獲得する。(p.182)

妻が夫とともに戦争に行き、戦闘ばかりか指揮官としても役割を果たす国だって存在する。鼻や、くちびるや、ほおに、そして足の指にも輪をつけて、おまけにかなり重い金の棒のようなものまでも、乳房やお尻にピアスしている国もある。(p.183)

また別の場所では、財産の共有制が守られていて、これを規律正しく行うために、何人かの高位の行政官が、各人の必要に応じて、土地の耕作や生産物の分配といった全体に責任を持っている。(p.183)

女性の身分がとても低くて、女子が生まれると殺してしまい、必要な女は近隣から買ってくるような土地もある。(p.183)

死者の体を焼いて、お粥のようになるまですりつぶし、これを酒に混ぜて飲むところもある。(p.183)

 これらの例は、だいたいロペス・デ・ゴマラの『インド史』から採られたもののようだ。


 さて、死体を酒に混ぜて飲むという話の次に出てくるのが、最初に引用した文章だ。何食わぬ顔で混ぜているけれど、これだけ実は出所が違う。これはプルタルコスの『悪徳は不幸の十分な理由になるか』から持って来たのである。
 宮下志朗訳では注で指摘してくれることが多い。しかし、関根秀雄訳や原二郎訳では、明確な引用文や、参照元への言及がある文章でない限り、ほとんどそうした注は付けてくれない(なくはないと思うが)。
 これはささやかな例かも知れないけれど、モンテーニュの手口を知るには、こういう注がとてもありがたいのである。モンテーニュ自身、自分を非難する人は、知らぬ間にセネカプルタルコスを非難していることになるかもしれないのですよと、我々を脅しているのだ。


 モンテーニュセネカプルタルコスに力を注ぐため、少しだけやることを減らしてみた。
 数学と物理は一つにまとめる。和書も、人文的なものと科学的なものと並行して読んでいたのを、一つにまとめる。
 それだけだけど、随分楽になった気がする。今日は早起きをしたせいもあって、既に最低限やることは全部やってしまった。後はプルタルコスの翻訳を読んだり、ドラマを見たりして過ごす。