本の覚書

本と語学のはなし

【ギリシア語】髪長きアカイア人 その二【イリアス2】

‘εὕδεις Ἀτρέος υἱὲ δαΐφρονος ἱπποδάμοιο·
οὐ χρὴ παννύχιον εὕδειν βουληφόρον ἄνδρα,
ᾧ λαοί τ᾽ ἐπιτετράφαται καὶ τόσσα μέμηλε·
νῦν δ᾽ ἐμέθεν ξύνες ὦκα· Διὸς δέ τοι ἄγγελός εἰμι,
ὃς σεῦ ἄνευθεν ἐὼν μέγα κήδεται ἠδ᾽ ἐλεαίρει·
θωρῆξαί σε κέλευσε κάρη κομόωντας Ἀχαιοὺς
πανσυδίῃ· νῦν γάρ κεν ἕλοις πόλιν εὐρυάγυιαν
Τρώων: οὐ γὰρ ἔτ᾽ ἀμφὶς Ὀλύμπια δώματ᾽ ἔχοντες
ἀθάνατοι φράζονται· ἐπέγναμψεν γὰρ ἅπαντας
Ἥρη λισσομένη, Τρώεσσι δὲ κήδε᾽ ἐφῆπται
ἐκ Διός·
ἀλλὰ σὺ σῇσιν ἔχε φρεσίν.’ (2.60-70)

眠っておるのか、馬を駆る豪勇無双のアトレウスの子よ、いやしくも統帥の任を帯びて民をあずかり、さまざまに心を砕くべき身でありながら、夜もすがら眠り呆けていてよいものか。今すぐわたしのいうところをしっかと聞き分けよ。私はゼウスの使者である。ゼウスはは遥かに離れておられても、いたくそなたのことを心にかけられ、憐れんでおられる。すなわちゼウスは、髪長きアカイア人らに、即刻合戦の用意をさせよと、そなた命ぜられた。今こそそなたは道広きトロイエの町を陥すことができるであろう。オリュンポスに住まい給う神々の間には、もはや意見の相違はない、ヘレの切なる願いに神々はことごとく靡き、トロイエ方の悲運はゼウスの神慮によってすでに定まっている。このことをしっかと心に留めておけ。(p.45-46)

 ゼウスがオネイロス(夢)にアガメムノンへの伝言を命じた。オネイロスはゼウスの言葉を、ほぼそのままアガメムノンに伝えた。それは前回書いたとおりである。
 さて、朝になると、アガメムノンは元老たちを集め、会議を行う。そこで彼は、オネイロスの言葉をそっくりそのまま喋るのである。ゼウスの命令(青太字部分)を繰り返しただけではない。オネイロスが自分の言葉で語りかけたことも漏らしはしないのだ。
 直接話法であるから、一字一句違わない。ただ、オネイロスが最後にもう一言付け加えていた(緑太字部分)のを、削除しただけである。*1

ἀλλὰ σὺ σῇσιν ἔχε φρεσί, μηδέ σε λήθη
αἱρείτω εὖτ᾽ ἄν σε μελίφρων ὕπνος ἀνήῃ.
(2.33-34)

このことをしっかと心に留め、甘い眠りがそなたから離れたとたんに、忘れ去るようなことがあってはならぬぞ。(p.44)


 わずか70行の中に3回も同じ言葉が繰り返される。しかもかなりの分量である。これはもう叙事詩のお約束というしかないのかもしれない。
 ヘレニズム期にはすでに、ちょっとやり過ぎだと思われたのだろうか。ゼノドトスが伝えるところでは、上に引用したアガメムノンの言葉は、わずか2行になっているそうだ。

ἠνώγει σε πατὴρ ὑψίζυγος αἰθέρι ναίων
Τρωσὶ μαχήσαςθαι προτὶ Ἴλιον·

天空に住まい高き玉座に座る父〔ゼウス〕が、イリオスでトロイア人らと戦うようそなたに命じたのだ。(拙訳)


 モンテーニュを読むなら古典文学に親しむ方がよい。
 しかし、もう少し直接的な源泉として、ギリシア語ではプルタルコスラテン語ではセネカを選択した方がいいのではないかという気もする。
 戸惑っている理由はその分量である。ロエーブでいうと、プルタルコスの『対比列伝』は11冊(京大の翻訳は6冊)、『モラリア』は16冊(同じく14冊)、セネカの道徳論3冊、道徳書簡集3冊、自然研究2冊、悲劇2冊(さらに『アポコロキュントシス』はペトロニウスと合わせて1冊)。
 セネカは悲劇以外の原典を持っているが、翻訳を手に入れるのが難しい。プルタルコスは翻訳も原典も持っていない。原典の一部は入手しにくいようだ。
 そんなわけで、本を揃えるのにお金がかなりかかるし、読む時間があるのかどうかも疑問である。しかし、この3人の著作があれば、一生楽しめるだろうとは思う。

*1:phresinとphresiとでは1文字違うようだが、このnは次に母音が来るか子音が来るかによって、付けたり付けなかったりするもので、別の語や格に置き換わったわけではない。