本の覚書

本と語学のはなし

【ギリシア語】おかしなことをいうではないか【イリアス1】

 もう少しで『イリアス』第1歌を読み終える(あと二三日)。
 そうすると、またホメロスか聖書かという選択を迫られることになるだろう。最近は、古典文学に嵌まりすぎるのではないかと恐れている。


ἠερίη γὰρ σοί γε παρέζετο καὶ λάβε γούνων· (1.557)

あの女〔テティス〕は朝まだき、あなた〔ゼウス〕のお側に坐りお膝にすがっておりました。(p.38)

 最近読んだところから、面白い形容詞を2つ紹介する。
 最初は「朝まだき」。こういうのは、普通、副詞か副詞句や副詞節で表現するものだろう。しかし、エーエリエーは主語のテティス(原文では主格の代名詞は省略されている)を修飾する形容詞である。ある動作を行う人(神)が、その動作を早朝に行ったことを示すのである。
 Pharrのホメロス文法の中では、「clad in mist(霧をまとって)」の意味かもしれないという。実際、大気と関係している言葉のようだから、そういうこともあるのかもしれない。


 なお、膝にすがるのは嘆願のしるしである。女神テティスは息子アキレウスの名誉が回復されるまで、ギリシア勢が不利になることを願ったのである。
 そして、それを見ていたゼウスの妻ヘラが、彼女は常にギリシア方の大いなるサポーターであったから、ゼウスに問いただしたのだ。

δαιμονίη, αἰεὶ μὲν ὀΐεαι οὐδέ σε λήθω· (1.561)

おかしなことをいうではないか。そなた〔ヘラ〕はいつもそのようなことに気を廻し、お蔭でわし〔ゼウス〕はそなたの目を逃れたためしがない。(p.38)

 それに答えたゼウスのセリフである。
 「おかしなことをいうではないか」というのは、ダイモニエーという形容詞1語を訳したものだ。これはヘラを修飾する形容詞の呼格であるから、直訳すれば「ダイモン的なる女性よ」あるいは「ダイモンの影響下にある女性よ」ということである。
 ダイモンは現代語のデーモンとは異なる。悪霊とか悪魔ではなく、神であり、神的なものである。だが、それが形容詞になると、神的なものに影響されて理性を失っている状態を指す場合のような、悪い意味も生じてくる。
 ゼウスがヘラにダイモニエーと呼びかけた時、怒りを通り超して憐れみさえもよおしていたのだ、とロエーブの注にある。当たっているかどうかは知らない。ちなみに、ロエーブの訳は「Strange queen」となっている。


ὅτι μοι θεῖόν τι καὶ δαιμόνιον γίγνεται, ὃ δὴ καὶ ἐν τῇ γραφῇ ἐπικωμῳδῶν Μέλητος ἐγράψατο· ἐμοὶ δὲ τοῦτ᾽ ἔστιν ἐκ παιδὸς ἀρξάμενον φωνή τις γιγνομένη, ἣ ὅταν γένηται, ἀεὶ ἀποτρέπει με τοῦτο ὃ ἂν μέλλω πράττειν, προτρέπει δὲ οὔποτε· (31D)

すなわち、私には何か神と神格に関わりのあるもの(ダイモニオン)が生じるのです。そしてそれこそは、訴状においてもメレトスが茶化して書いたところのものなのです。それは子どもの時以来私につきまとい、ある種の音声として生じるのですが、それが生じる時にはいつでも、それが何であれ、私がまさに行おうとしていることを私に止めさせようとするのです。それに対して、けっして何かをするように促しはしないのです。(p.55-56)

 ダイモニオンが必ずしも悪い意味でばかり使われるのでないことを、ソクラテスの例(プラトンソクラテスの弁明』)で示してみる。
 ソクラテスが子どもの頃からダイモニオンを声として聞いていたことは有名だ。何かをなすことを促す声ではなく、何かをしようという時にそれを引き止める声である。この声のために、彼は政治にたずさわらなかった。そして、それははなはだ適切で有難いことであったと考える。
 この不思議なダイモニオンは、ソクラテスの理性と共存することができたのである。