だが、どうだろう。到底私に背負いきれるものではないのではないか。ゲーテが主人公というのならまだしも、脇役としてはあまりに重たすぎるのではないか。
これまでに読んだゲーテを列挙してみる。
翻訳では『若きウェルテルの悩み』『ヘルマンとドロテーア』『ファウスト 第一部』『ファウスト 第二部』『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』、そしていろんな作品から格好良い言葉を集めてきた『ゲーテ格言集』(新潮文庫)。
原文では『若きウェルテルの悩み』、対訳叢書の『美しい魂の告白』と『ゲーテ詩集』(郁文堂)。詩集はカセットも購入して、学生時代、よく聞いていた。『ファウスト』は途中まで読んだことがあるし、記憶はあやふやだが『ヘルマンとドロテーア』も少しは読んでみたのではないだろうか。
だが、これだけである。私が今回ゲーテに引き寄せられたのも、『ゲーテ格言集』と『ゲーテ詩集』と『ヘルマンとドロテーア』の強烈な印象が、記憶の奥底でもぞもぞし始めたからにすぎない。
ゲーテを続けるか否かは、転職活動の結果にも左右されるだろう。
先日面接を受けてきた。感触はよかった。しかし、そんな感触が当てにならないことは幾度も経験している。明後日に通知が来るまでどうなるか分からない。
仮に合格だったとする。職場は近い。日勤である。だが、短いリズムを刻まなくてはならない。ゲーテに深く分け入る余裕はなくなるのではないか。ドイツ語はホームズに戻すか、聖書原典講読のお伴にルターの聖書を参照するだけにするだけにとどめる方が、賢明であるかも知れない。
不合格だったとする。これまで通りの生活が続く。ゆったりとしたペースで時間が流れるので、何に手を出してもよい。ゲーテを続けることもできる。その代わり、どれもこれも亀のようなスピードでしか進まない。
久し振りの『ファウスト 第一部』。
ゲーテ継続のために有利になるとは思われなかった。ゲーテは面白がって読むものではないだろうし、遺跡を発掘する考古学者の忍耐がしばしば必要であるように思われる。
そして、こんなことを言っては元も子もないが、ゲーテは、翻訳ではなく、ドイツ語で読むべき詩人である。