DICHTER.
Ihr fühlet nicht, wie schlecht ein solches Handwerk sei!
Wie wenig das dem echten Künstler zieme!
Der saubern Herren Pfuscherei
Ist, merk ich, schon bei Euch Maxime.
どこまで続くか分からないが、ドイツ語の読み物をホームズの独訳からゲーテの『ファウスト』に替えてみた。
それだけなら負担は軽くなったはずなのだが、仮にドイツ語で読むものを『ファウスト』一冊に限定するとしても、翻訳ではゲーテの全体に触れておきたいという欲求がどうしても生じてくる。ゲーテを背負い込むという重圧はかなりのものである。
引用したのは、まだ劇が始まる前の「前狂言」で、ファウストも出てこない。座長と詩人と道化の会話である。
セリフと言っても、韻文である。弱強弱強のリズムで進み、行末で韻を踏む(1行目のザイと3行目のプフシェライ、2行目のツィーメと4行目のマクスィーメ)。
テキストは某大学の研究図書だったものである。印が押してある以外はほぼ新品同様であるが、かなり安く買うことができた。
詩人
いや。そんな細工がどの位悪いか、あなた方には分からないのです。
真の芸術家にどの位不似合だか、分からないのです。
その様子では、いかがわしい先生方の素人為事が、
あなた方の所では、金科玉条になっていると見えますね。
幸福なことに、『ファウスト』には森鷗外の翻訳がある。
私が持っている高橋義孝や山下肇の翻訳を見ても、なにほどか影響を与えているようである。
これまでのところ、意外ではあるが、一番原文の構文に即して訳しているのが鷗外であるように思われる。
詩人
そういう小手先仕事がどんなにいけないことか、
どれほど詩人に不似合いなことか、おわかりではないようですね。
どうやら、ご立派な先生方のやっつけ仕事を、
あなた方はこの上ないものとしていらっしゃる。
新潮文庫の高橋義孝訳。
「真の芸術家」は「詩人」の言い換えであると解釈しているようだ。それで間違いはないだろうが、かといってそれを「詩人」と訳す必要はなさそうに思う。
詩人
わかってないですなあ、そんな職人仕事のくだらなさが、
本当の芸術家にはあるまじきことだっていうのが!
とんでもない先生方の手抜き仕事が、
どうやらもうあんた方の金科玉条とみえますね。
潮出版社の全集の山下肇訳。
1行目と2行目の2つの副文を1つにまとめているようだ。『ファウスト』の翻訳者は皆、鷗外を意識しながらも、いかにして鷗外の先に行こうかと工夫しているのかもしれない。
なお、高橋と山下が「どうやら」と訳しているのは、原文の「merk ich」という挿入句であるが、これは鷗外がやや強めに「その様子では」としていたものである。
私が持っている全集は、新装版ではなく古い方だ。某大学図書館の除籍本である(ドイツ語原典が研究図書として置いてあったのとは別の大学)。
箱はない、別冊もない、ラベルやシールが貼ってある、印が押してある、背表紙にコーティング剤が塗布されている。しかし、誰もゲーテを熟読した人はいないようで、中身は新品そのものである。かなり安く買うことができた。
ゲーテの全体を知るということは、この全集15冊に加え、エッカーマンの『ゲーテとの対話』や翻訳された書簡集(全集にも一部が収められてはいるが)などを読むということである。長く苦しい旅になりそうだ。
得るものが大きいだろうとは予想できるが、耐え続けることができるかどうかは分からない。