本の覚書

本と語学のはなし

【読書メモ】この武器はラティウム軍に敵対する【アエネーイス】


 できる限り原文の一行に日本語の一行を対応させた訳である。通読には向かないかもしれないが、原典と比較する際には大いに役立つだろう。
 第8巻のアエネーアースのセリフを見本として挙げておく。

「ご覧のわれらはトロイア生まれの者、この武器はラティウム軍に敵対する。
かの者どもが傲岸な戦争を仕掛けて、われわれを追放したのだ。
エウアンドルス王を探している。こう伝えて欲しいのだ。ダルダヌスの
血統の選り抜きの指揮官らがやって来て、同盟軍を求めている、と」。

 比較のため、先に紹介した杉本正俊訳を全部書き抜く。けっこう脚色しているように見受けられる。

「ご覧のわれらはトローヤの一族でござる。目下ラティーニー人たちと抗争の槍を構えております。われら、かの者たちから、恐れ入りたる弓矢の馳走に与り、ほとほと途方に暮れておりまする。
 さてこそ、かくはエウアンドルス王を頼って参った次第。なにとぞこの旨をお伝えくだされい。選り抜きのダルダニア(トローヤ)の武士もののふが、同盟軍を探しているのでござる」

 泉井久之助訳は七五調の韻文であるが、行数は原文と一致していない。しかし、内容の方は案外正確なのである。

『見らるるごとくわれわれは、トロイアの生まれ、ラティウムの、
ものらに対して敵対の、間にあって彼らより、
暴慢きわまる戦いを、しかけられて逃げたもの。
エウアンデルに会うために、われらはここにやって来た。
これらのことをかの王に、伝えてトロイアの選り抜きの、
将たち来たって友軍を、乞うていると告げられよ。』


 だが、泉井久之助訳を読んだばかりであるから、今回は本文を飛ばして解説のみ。
 後世への影響の中で、ダンテに触れている。ダンテは『神曲』の中で、地獄から煉獄への案内者としてウェルギリウスを選んだ。

人間が苦難の深みにはまり、もがき苦しみ抜くさまを、また、置かれた立場、奉じる信条、抱く思想を異にしながら人と人がともに生きようとすれば、その苦難が不可避であること、さらに、それは時がめぐればまた繰り返し、その終わりがないことを示して、ウェルギリウスは人間の歴史が苦難の道筋そのものであることを表現する。そうした人間観は苦しみが深ければ深いほど共感を呼ぶものであろう。その解決をウェルギリウスは示さない。

 そういえば、アエネーイスが無慈悲に敵将の息の根を止めるところで、唐突に物語は終わる。
 ダンテが天に光明を見つけたとき、ウェルギリウスの姿は静かに消えた。ウェルギリウスが超克すべきものであるとすれば、悲劇としての『アエネーイス』は必ず喜劇としての『神曲』を伴うべきものであるのかもしれない。
 だが、果たしてウェルギリウスを超克することはできるのだろうか。これはゲーテの『ファウスト』を読むときにも考えなくてはならないことだ。ただし、『ファウスト』は悲劇とされている。それもまた、考えなくてはならない。


 昨日、履歴書を郵送した。
 もし転職すれば、ウェルギリウスゲーテを読む余裕はなくなるかもしれない。