本の覚書

本と語学のはなし

【読書メモ】われらはトローヤの一族でござる【アエネーイス】

 散文で訳された『アエネーイス』である。一番リーダブルであると言われているようだ。
 先日泉井久之助の訳を読み終えたばかりなので、本文には目を通していない。ぱっと開いたところを見るかぎり、なるほど読みやすそうである。ただ、セリフが古臭い時代劇みたいで、好みは分かれるだろう。

ご覧のわれらはトローヤの一族でござる。目下ラティーニー人たちと抗争の槍を構えております。われら、かの者たちから、恐れ入りたる弓矢の馳走に与り、ほとほと途方に暮れておりまする。(p.230, 巻8)

 これは主人公アエネーアースの言葉である。


 今回は解説だけ読んでみた。
 杉本以前に『アエネーイス』の主要な邦訳は4点のみ。たとえばゲーテの『ファウスト』の邦訳は30点ほどある。日本におけるヨーロッパ文学受容の偏向を示しているという。
 もっとも、ウェルギリウスがあまり流行らないのは、西洋古典学の専門家自身による否定的な言辞が理由の一つであるのかもしれない。

 右の高津〔春繁〕・泉井〔久之助〕両碩学の言葉も、作品と詩人への深い理解と敬愛に裏打ちされており、凡百の定式的なウェルギリウス否定の言葉とは全く異なる。だが、日本におけるウェルギリウスの受容がまだ十分に根づいていない段階で、こうした大学者の率直な発言がなされてしまったことは、「ウェルギリウス=模倣的・技巧的」という定式的な通念をますます強化してしまった面もある。(p.418-9)

 高津は完全なるギリシア主義者であって、ウェルギリウスに敬愛を抱いていたかどうかもあやしいものだが、翻訳を手がけた泉井でさえも、注釈の中にわざわざホメーロスには及ばないと書いていたりするのである(杉本の解説で触れられているのは、別のところであるが)。


 杉本は元来ドイツ文学の人らしい。40代から50代にかけて10年間、ある師について『イーリアス』と『アエネーイス』を習った。
 その師が放った言葉が印象深い。

 別の時、師は言った、「ホメーロスは安心して読んでいられるが、ウェルギリウスには恐ろしいものが漂っている。大抵の箇所はさほどではないが、急所に来ると、何か恐ろしいものを見てしまった人の不安が表に出てくる」(p.420)