白水社の小田島雄志の個人訳には注釈が一切なかった。そういうものを必要とせず、日本語として自立して、そのまま舞台で使えるような訳を目指していたのだろう。
一方、この筑摩書房の全集には注釈がある。ギリシア神話や聖書の物語が簡単に説明されるほか、喜劇作品に特徴的な洒落の解説もしてくれる。便利である。しかし、「うまく日本語に訳せぬ」とか「とても訳出できない」といった諦念の逃げ道となっている風もあって、翻訳をそのまま舞台の人物に喋らせてみたところで、とても日本語には聞こえないだろうという訳が多く見られる。
一長一短である。小田島訳を読んでいれば、原文ではどうなっているのだろうと常に気になるし、筑摩書房版を読んでいれば、苦し紛れの訳に苦しむことになる。
シェイクスピアの全戯曲を入手する一番安い方法は、坪内逍遙の翻訳を1冊にまとめた本を買うことだと思うが、次はおそらく筑摩書房版を古本屋で探すことである。小田島雄志訳や松岡和子訳を集めるのが大変だという人には、ありがたい選択肢であるはずだ。
やや日本語が古いと感じることもあるが、坪内逍遙に比べれば十分に読みうる現代語である。詩作品も収められていて、お得である。
なお、新潮社の福田恆存訳は、全集と書かれているが、全戯曲が収められているわけではないので、気をつけられたい。大体のところは新潮文庫に入っているから、熱烈な福田ファンでない限り、あえて全集に手を出す必要はないだろう。