本の覚書

本と語学のはなし

シャーロック・ホームズ全集 第16巻 サセックスの吸血鬼/コナン・ドイル

 「覆面の下宿人」(『事件簿』)、「サセックスの吸血鬼」(『事件簿』)、「スリークオーターの失跡」(『帰還』)、「アベイ農場」(『帰還』)、そして「悪魔の足」(『挨拶』)の5編を収める。


 東京図書版は個人訳ではないが、訳者が変わってもそれほど癖の違いを感じることはなかった。
 ところが、この巻からは一気に古臭くなってしまって、雰囲気もがらりと変わった。しかも、残る物語はすべて同じ高山宏によって訳されているのである。


 「サセックスの吸血鬼」より。

「我が探偵局がぼんくら揃いだなんて甘く見られちゃかなわない。むろん奴さん自身の事件に決まってるさ。さて、彼にその電報を打ったら、明朝までは我れ関せず焉(えん)だ。(p.33)

“We must not let him think that this agency is a home for the weak-minded. Of course it is his case. Send him that wire and let the matter rest till morning.”

 「我れ関せず焉」とはまた古いし、この場合果たして上手い訳と言えるだろうか。


 「サセックスの吸血鬼」より。

 拝復 一九日付御来簡の件に就き、貴社顧客たるミンシング・レインの茶仲買商ファーガソン・アンド・ミュアヘッド商会、ロバート・ファーガソン氏の事件を調査致し、右事件は満足すべく落着致し候につき、此処に具申致すものに候。貴下によるご推薦に改めて感謝致しつつ

Referring to your letter of the 19th, I beg to state that I have looked into the inquiry of your client, Mr. Robert Ferguson, of Ferguson and Muirhead, tea brokers, of Mincing Lane, and that the matter has been brought to a satisfactory conclusion. With thanks for your recommendation,

 格式張った手紙の感じを出したかったのかもしれないが、候文である。


 「スリークオーターの失跡」より。

わしゃ、鐚一文出すもんじゃない――鐚一文も、じゃ! 分かったかね、探偵君! この若者の家族ちゅうたらわし一人じゃが、わしの知ったことじゃないんだ。彼に遺産相続の望みがあるとしたら、そりゃこのわしが無駄な費えをせんかったお陰じゃないかね。そいつを今になって無駄遣いをする気など、さらさらありゃせんわい。おぬしが得手勝手にしよるその紙切れのことじゃが、中に大事なものが入っとる分には、それにおぬしが何をしようと責任はとってもらいますぞ」

“Don't look to me for a penny—not a penny! You understand that, Mr. Detective! I am all the family that this young man has got, and I tell you that I am not responsible. If he has any expectations it is due to the fact that I have never wasted money, and I do not propose to begin to do so now. As to those papers with which you are making so free, I may tell you that in case there should be anything of any value among them you will be held strictly to account for what you do with them.”

 いかに吝嗇家であるとは言え、この人は貴族である。


 「アベイ農場」より。

「お掛け下さい。クローカー船長。小生の電報、ごらんになりましたね?」

“Sit down, Captain Croker. You got my telegram?”

 ホームズの一人称に「小生」が使われるのは、この全集ではこれが初めてではないだろうか。どういうニュアンスを与えようと意図したものなのか、私には分からない。