本の覚書

本と語学のはなし

はい、ここに【ヘブライ語】

Biblia Hebraica Stuttgartensia

Biblia Hebraica Stuttgartensia

  • 作者:Elliger, K.
  • 発売日: 1990/06/01
  • メディア: ペーパーバック
旧約聖書〈1〉創世記

旧約聖書〈1〉創世記

  • 発売日: 1997/03/05
  • メディア: 単行本
 創世記22章10-11節。原文と岩波書店の月本昭夫訳。

וַיִּשְׁלַ֤ח אַבְרָהָם֙ אֶת־יָדֹ֔ו וַיִּקַּ֖ח אֶת־הַֽמַּאֲכֶ֑לֶת לִשְׁחֹ֖ט אֶת־בְּנֹֽו׃
וַיִּקְרָ֨א אֵלָ֜יו מַלְאַ֤ךְ יְהוָה֙ מִן־הַשָּׁמַ֔יִם וַיֹּ֖אמֶר אַבְרָהָ֣ם׀ אַבְרָהָ֑ם וַיֹּ֖אמֶר הִנֵּֽנִי׃

アブラハムは手をのばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。すると、天からヤハウェの使いが彼に呼びかけて、言った、「アブラハムアブラハム」。彼は言った、「はい、ここに」。

 「はい、ここに」と訳されているヒネーニは、「見よ」という意味のヒネーに、一人称単数の人称代名詞がくっついて出来た言葉で、「私はここにいます」という位の意味である。


 例えば同じ章の7節では、イサクが父に呼びかける。

イサクは父アブラハムに呼びかけた、「父よ」。彼は言った、「子よ、何か」。

 アブラハムの返事は、新共同訳では「ここにいる。わたしの子よ」となっている。これも同じ言葉である。


 また同じ章の1節、神がイサクの供犠を要求してアブラハムに呼びかける場面。

神は彼に呼びかけた、「アブラハムよ」。彼は言った、「はい、ここに」。

 新共同訳では単に「はい」となっているが、もちろんこれも同じ言葉である。


 必ずしも神の呼びかけに応答するための特別な語彙というわけではなく、ごく普通に用いられているものには違いないが、恐らく信仰のためにはとても重要な言葉である。