本の覚書

本と語学のはなし

『Mrs Dalloway』


●Virginia Woolf 『Mrs Dalloway』(Penguin Popular Classics)
 当初はダロウェイ夫人が自殺するはずだったという。しかし、セプティマスが代わりに自殺した。「どういうわけか自分が彼に似ている気がする――自殺をしたその青年に。彼がそうしたことをうれしく思う。生命を投げだしてしまったことをうれしく思う」とダロウェイ夫人は考えた。彼のおかげで当面ダロウェイ夫人が自殺することはないだろう。だが、その後のことは分からない。著者のヴァージニア・ウルフはしばらく後に入水自殺した。


 読むのには苦労した。翻訳(集英社文庫の丹治愛訳を参照した)では一定の解釈が施されて分かりやすくなっているが、原文では地の文なのか、心の中の意識の動きなのか、実際に声に出して話しているセリフなのか判然としないことが多く、しかも意識の主体は自在に入れ替わるというのに3人称代名詞のオンパレードで、どれが誰を指すのやら混乱することもしばしばあった。時々は詩的なイメージの飛躍について行けなかったり、文法的には破格と思える文章もあったりで、読む気の失せていた時期もある。
 しかし、英語の読解の中心をタイムからこちらに移して以降は、比較的順調だった。読みにくいながらも癖になる。苦労してでも原文で味わいたい文章だ。ウルフの作品には必ずまた原文で挑戦したい。たぶん次は『灯台へ』になるだろう。


 現在小説はフランス語の原典と英語の原典と文庫本の翻訳ものを読んでいるが、今後は基本的に原典講読だけにしようと思う。文庫本は岩波文庫光文社古典新訳文庫の新刊を中心に月2冊程度買うだけにする。その代り、日本の古典の読解を再開し、空いた時間に少しずつ進めよう(そうたくさんは読めないだろうから、『枕草子』から『源氏物語』へと王道を歩くことになるだろう)。
 何度か同じようなことを宣言しながら、原典講読だけでは読書量が少なくなりすぎるのを懸念して挫折を繰り返してきた。今ではかなり力もついたとは思うが、しかし文学の言語をばかにしてはいけない。フォークナーに取り掛かったあたりで(予定ではオースター、フォースター、フォークナー)、また見直しを迫られることになるかもしれない。


 働くことを想定した日課の調整には余念がないのだけど、肝心の就職活動はまだ始めていない。来週は動きたいと思っているのだけど、どうなるか。

Mrs Dalloway (Penguin Popular Classics)

Mrs Dalloway (Penguin Popular Classics)

  • 作者:Woolf, Virginia
  • 発売日: 1996/06/27
  • メディア: ペーパーバック
【参考】
ダロウェイ夫人 (集英社文庫)

ダロウェイ夫人 (集英社文庫)