本の覚書

本と語学のはなし

八大人覚


 『十二巻本』の最後は「八大人覚」。道元入滅の年に書かれたもので、内容は釈迦の般涅槃時の説教の引用である(「大師釈尊、最後之説、大乗之所教誨」)。
 道元ただ一人の法嗣とも言われる懐奘の奥書を書き抜いておく。

 如今(いま)建長七年乙卯(いつばう)解制の前日、義演書記をして書写せしめ畢(をは)んぬ。同じくこれを一校せり。
 右の本は、先師最後の御病中の御草なり。仰せには以前所撰の仮名正法眼蔵等、皆な書き改め、并びに新草具(とも)に都蘆(とろ)壱佰巻(いつぴやくくわん)、之を撰ずべしと云々。
 既に始草の御此の巻は第十二に当れり。此の後、御病漸々に重増したまふ。仍つて御草案等の事も即ち止みぬ。所以に此の御草案は、先師最後の教勅なり。我等不幸にして一百巻の御草を拝見せず、尤も恨むる所なり。若し先師を恋慕し奉らん人は、必ず此の十二巻を書して護持すべし。此れ釈尊最後の教勅にして、且つ先師最後の遺教也。(415,6頁、原文は漢文)


 禅と言うと、仏に逢ったら仏を殺せとばかり威勢のいいのが通り相場だろうが、「八大人覚」の最後の言葉に「いま習学して生々に増長し、必ず無上菩提にいたり、衆生のためにこれを説かんこと、釈迦牟尼仏にひとしくしてことなることなからん」(414頁)とあるように、道元が常に目指していたのは釈迦であった。
 懐奘もまた釈迦に道元を重ねて、そこに禅を見ている。