実際に封をして送られた手紙ではないようだ。それどころか、ルーキーリウスが実在の人物であるかさえ疑う人がある。真実はどうであれ、我々にとっては、全体がある程度の構想の下に書かれたものであろうとのことくらいを理解していればよい。
テーマは『倫理論集』で扱われたものと変わらない。時間を惜しみ、運命に左右される物質的な幸福を軽蔑し、ただ哲学のみを学んで死を克服すること。だいたいそんなことが繰り返し述べられるに過ぎない。
しかし、一葉の手紙は日々繰り返される哲学的思索であり、それは同時に哲学的行為であり、たとえそれが人生最後の日となったとしても、その一日が全生涯であるかのような日として、手紙の終りとともに擬似的な死を死んでいくのである。
ネローに暇を乞い、ネローに死を賜るまでの3年間、哲学に生きたセネカの一日一日が手紙の内に結晶していったのである。
モンテーニュは『倫理書簡集』を好んだ。一つひとつが短くて、哲学の煩瑣な議論が省かれているというのも大きな魅力ではあったろう。だが、ここには死の足音がよりはっきりと聞き取れる。それをモンテーニュも聞いていたのかも知れない。