●内田樹『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)
日本やフランスにおける反ユダヤ主義の記述も十分興味深いのだが、圧巻は何と言っても、ユダヤ人はなぜ知性的なのか、そしてなぜユダヤ人は迫害されるのかに答えを見出そうとする終章である。
わけのわからないことを書きたいという内田の言説を簡単に要約することはできないが、あえて要点をつまめば、ユダヤ人の知性は始原の遅れに由来し、反ユダヤ主義はあまりに激しくユダヤ人を欲望したがゆえに彼らを迫害した、というようなことになる。これだけではまだ分からないが、詳細に興味のある人は実際にこの本(もしくはレヴィナス)を読んでひねくれねじれた論理を自ら堪能するといい。
興奮したのは、ユダヤ人の始原の遅れ、あるいはアナクロニスム(人間は不正をなしたがゆえに有責なのではなく、不正以前に不正について有責であるという)について説明する際、レヴィナスが『マタイ伝』の25章を引いていたことである。そこは私がキリスト教に入るきっかけになった部分 *1の後半(裏面)になる。私は単に偏在する神を、貧しいものの中に宿る神を、そして隣人愛のあるべき様を見ていたにすぎない。しかし、レヴィナスは「隣人を歓待するか追放するかの選択に先んじて、隣人を追放したことについて有責」(220頁)となるという、驚くべき思考を展開する。ユダヤの叡智がそのようなものであるというなら、罪なくしてそれを引き受け十字架に架けられたイエスは、まさにユダヤの叡智と歴史を体現したと言えるのではないだろうか。
『日本辺境論』*2よりもお薦め。
- 作者:内田 樹
- 発売日: 2006/07/20
- メディア: 新書