本の覚書

本と語学のはなし

普勧坐禅儀撰述由来


 続くかどうか分からないが、春秋社の新道元全集第14巻を読み始めた。
 先ずは『普勧坐禅儀撰述由来』。原文は漢文。長い歴史があるから、研究も進み、読み方も定まっているのかと思いきや、旧全集と比べるとだいぶ読み下し文が違う。
 冒頭部分を並べてみる。

 (旧原文)教外別伝・正法眼蔵、吾朝、未嘗得聞。矧坐禅儀、則無今伝矣。
 (旧読み下し)教外別伝・正法眼蔵、吾が朝、いまだ嘗て聞くことを得ず。いわんや坐禅儀は、則ち今に伝わるなし。


 (新原文)教外別伝正法眼蔵、吾朝未嘗得聞。矧坐禅儀則、無今伝矣。
 (新読み下し)教外別伝の正法眼蔵、吾が朝いまだ嘗て聞くことを得ず。いわんや坐禅の儀則、今に伝わることなし。


 新全集の注釈を見ると、教外別伝と正法眼蔵を同格の「の」で結び、中黒点を使わなかったのは、これらが二つの異なった仏法として並列されるべきものではなく、同一のものと解釈されるべきだからと言う。
 「坐禅儀」と読むか「坐禅の儀則」と読むかはもう少し微妙な問題であるが、『坐禅儀』という著作が伝わっていなかったからではなく、そもそも坐禅の儀則そのものが伝わっていなかったから、請われて『坐禅儀』を撰述したと考える方が自然である、という解釈である。
 案外基礎的な部分でもまだやるべきことが残された分野なのかもしれない。