本の覚書

本と語学のはなし

哲学翻訳2


 調子に乗って、スピノザプラトンも読んでみた。あまりに久し振りなので、記念に少しずつ引用しておこう。


 スピノザは単語は難しくないし、ほとんど近代語だし、ラテン語を読んでいることにはならないのかもしれないが、ゲーテだって人から咎められるほどスピノザを愛したのだ。
 では、私がスピノザらしいと感じる文章と、畠中訳を。


《Cum autem natura divina infinita absolute attributa habeat (per defin. 6.), qouorum etiam unumquodque infinitam essentiam in suo genere exprimit, ex ejusdem ergo necessitate infinita infinitis modis (hoc est omnia, quae sub intellectum infinitum cadere possunt) necessario sequi debent. Q. e. d.》


《ところで神の本性は、おのおのが自己の類において無限の本質を表現する絶対無限の属性を有するから(定義六により)、このゆえに、神の本性の必然性から無限に多くのものが無限に多くの仕方で(言いかえれば無限の知性によって把握されうるすべてのものが)必然的に生じなければならぬ。Q・E・D・》


 慣れないと「無限」ばかり連なって何のことだか分かりにくい。
 「Q. e. d.」は知っている人も多いだろう。「Quod erat demonstrandum.」の頭文字で、「これが証明されるべきことであった」の意味である。単に「証明終わり」という風に訳されることもあるだろう。畠中の注によると、「ユークリッド用法に倣ったものとみられる」とのこと。


 プラトンのギリシア語は分かりやすい。しかし、時々迷う。翻訳はロエーブの英訳と藤沢訳。


《Αλλα, εφη ο Κλειτοφων, το του κρειττονος ξυμφερον ελεγεν ο ηγοιτο ο κρειττων αυτω ξυμφερειν. τουτο ποιητεον ειναι τω ηττονι, και το δικαιον τουτο ετιθετο.》*1


《“O well,” said Cleitophon, “by the advantage of the superior he meant what the superior supposed to be for his advantage. This was what the inferior had to do, and that this is the just was his position.”》


《「いやしかし」とクレイトポンは言った、「彼が『強い者の利益になること』と言ったのは、強い者が自分の利益になると思った事柄、という意味なのだ。それを弱い者は行わなければならないのであって、彼が〈正しいこと〉の定義として立てたのも、そういう意味のことなのだ」》


 原文に対して翻訳の分量が多いのは、原文を補って説明的になっているからだ。原文は普通のギリシア語のなか、コロキアルな感じなのか(対話篇なのでコロキアルでないはずはないが)、単に舌足らずなのか(仮にそうだとしても、意図されたものであるには違いないが)、私にはそこまでは分からない。
 英訳の「that this is the just was his position」がいい。この場合の「position」は「見解」という意味になるだろうが、もともとはラテン語の「pono」の受動分詞を語源とする言葉だ。ところで、「(定義として)立てる」と和訳された「τιθημι」に相当するラテン語が「pono」である。つまり、立てる行為は、立てる者の立ち位置をも同時に規定するのである。


 ラテン語もギリシア語も、今さらマスターしようなんて高望みをしなければ(ドイツ語だってそんな望みは抱いていないのだ)、今後もうまく付き合って行けるのではないだろうか。プラトンスピノザ(とカント)をゆっくり読むだけでいいのだ。

*1:気息記号、アクセント記号、下書きのイオータは省略した。というより、XPの入力ツールを使用しているのだが、たぶん古代ギリシア語の表記には対応できない。素人の私にとっては自己満足で終わるだけに違いないが、入力ソフトを入手するべきか。