本の覚書

本と語学のはなし

【第五回】短歌の目 九選


 短歌の良し悪しを見分ける力はありませんので、他人の歌を選ぶなどという僭越な試みはこれを最初で最後にします。何卒ご容赦ください。
 選歌の基準は単純です。来月もし短歌の目に参加するとしたら、こんな歌を詠んでみたい。そういう憧れの歌です。他にも優れた歌はたくさんあるのでしょうが、そういう方向では決して詠めないだろうというものは、ここでは採り上げませんでした。

九首選んでみました

1. 手帳

真新しい手帳にウソを書き連ね 偽りの日々で今年を埋める (id:mika3kan)

 一般的な解釈は、実際にはない予定を書き連ねて、さも充実した日々を生きているかのように装う寂しさが常軌を逸したということになるのでしょうが、もしかしたら現実の予定をあるがままに書いて、それが全部ウソであると感じているという状況でもあるのではないかという気もしました。「真新しい」とあるので解釈としての説得力はあまりありませんが。
 私は偽りの日々で埋められた手帳には何の未練もないので、実際的な必要のなくなった過去の手帳は保存しておりません。

ラクマの手帳を鼻で笑われて妥協のピンク能率手帳 (id:okappasan)

 負けないで。

2. 花火

花火食べ頭の中でスターマイン。告白まだか寝そべる彼女 (id:fktack)

 食べないで。

3. 虫

始めには気付かず踏んでいましたと 天道虫に 懺悔をしても (id:amenomorino)

 「始めには」とあるけど、後からは気を付けて踏まないようにしたということでしょうか、後からは気づいて意識的に踏むようにしたということなのでしょうか。
 前者ならば今更懺悔しても失われた天道虫の命は戻らないということだろうけど、後者ならば今更見せかけの懺悔をしても、〈私〉のか黒い心の闇(天道虫の模様に似ている?)に気づいてしまったからには、世界はもう昨日のままではない、ということになりそうです。
 ちなみに、禅の世界に夏安居という一所定住期間があるのは、この時期の遊行では無意識的にしろ虫などを踏み殺す危険があるからだとのことです。聖人を目指す人は、夏には出歩いてはなりません。

5. アイス

スプーンでアイスを君の顔にして段々小さくしてゆく真昼に (id:hyacinthus)

 これ、夜だと寂しさを感じさせるのでしょうけど、真昼ですね。白昼の狂気のようなもの浮かび上がってきます。顔が小さくなるというのは、彼が遠のいてゆくようでもあり、その分彼を体内に摂取していくようでもあり、諦めと執着のはざまの、しかも随分と肉感的な揺れであるようです。
 これが男の子ならば、きっとおっぱいを作って遊んでおしまいですね。

6. プール

折りたたむプールサイドを広げてはやたらと砂をかけたがる彼 (id:kyokucho1989)

 折り畳み式プールサイド、しかもプールなのに砂遊び。ナンセンスな歌として楽しめばいいのでしょうけど、私が具体的なシーンとして思い浮かべたのは、夏にセーヌ河畔に登場するパリ海岸でした。
 セーヌ川に沿った散歩道に砂を敷いてビーチに見立てるのです。いい年をした大人が水着になって、日光浴をしています。なんでこんな馬鹿なことをするのでしょうか。海が遠いとか、冬場の日照時間が少ないとかあるんでしょうけども。
 ちなみにセーヌ川は遊泳禁止のはずですので(少なくともパリ市内では)、はしゃぎすぎないようにしましょう。またセーヌ川は折り畳み式ではありませんので、持ち帰ることはできません。

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学校の夜のプールに忍び込み
足先だけで夏を確かむ (id:karigari)

 飛び込まないところがいいですね。静謐な感じ。たぶん一人なのでしょう。そして、あの頃の夏には、一人ではなかったのかもしれません。

カビ取りをした日の風呂場はほんのりと幼き頃のプールの記憶 (id:harasanpo)

 この匂いのために生きていたい、とちょっと思いました。

7. すず

広瀬すず あざといよね、うん でもおれけっこうすき へーそーなんだ、ふーん…… (id:chmi_bluebird)

 一般に男性にとってかわいさは正義であり、あざとさが問題になるのはそれがかわいさの欠如態において現象する場合であると思われます。たとえ斜め上方30センチくらいにすず親方がちらちら見え隠れしたとしても、気にも留めないのです。
 私は広瀬すずをドラマや映画やバラエティで見たことはありませんが、CMを見る限り、本人というより起用する人たちのセンスが気持ち悪くて嫌になります。瞳をうるうるさせ、少し口を尖らせるあの得意の表情をだっちゅーの張りに要求しては、いくらなんでも食傷気味になります。「まだ終わりたくないから」からの頭なでなでとか、あれは一体なんでしょうか。製作者たちをみんな並べて順番に延髄切りにしてやらなくてはなりません。

10. ぬばたまの【枕詞】

 枕詞はその後に特定の単語を繋げるだけだから、誰でも簡単に歌を作ることはできるのだけど、五音分の情報量の減少と引き換えにしてまでも一首の中に取り込まなくてはならないだけの必然性を感じさせるとなると、至難の業だと思う。