原典講読はペースが落ちているとはいえ、順調である。セネカとプルタルコスは挫折するかもしれないと懸念していたのであるから。
セネカとプルタルコスの翻訳と未購入の原典テキストは、再就職が決まると同時に入手して揃えた。これほど思い切って本に散財することはもうないだろう。今年中に翻訳を読破するのは無理だろうが、だいぶ傾向はつかんできている。
和書で必ず読まなくてはならないとしていたのは、宮下志朗の『エセー』と堀田善衛の『ミシェル』であった。
前者は既に読破した。後者は3部作の内の1冊目を、今読み終えたところである。今年の目標は概ね達成できそうだ。
このくらいゆるい目標設定が、私には合っているようである。
ところでミシェルというのは、ミシェル・エーケム・ド・モンテーニュ、すなわち我らのモンテーニュのことである。
丹念に資料にあたり、時代背景を明らかにしながら、モンテーニュの生涯と思想を辿るものである。小説ではないから余計な肉付けはない。資料が足りないところを創作で補うことはない。
第1部は誕生、教育、法官時代、ラ・ボエシーとの出会いと別れ、結婚、若くしての引退までが描かれる。
『エセー』を構えて読む必要がないように、『ミシェル』もまた気軽に読んでよいものだと思う。モンテーニュの妻の持参金は、関根秀雄の計算によると、1973年の交換率で日本円にして15億円以上になる。父から相続した財産は、同じく65億円以上。その遺産が生み出す収入は、月々760万円くらいということである。これを紹介している堀田善衛が、必ずしも納得しているわけではなさそうであるけれど。