小川正廣訳は原典講読の際に参照する。原文に忠実で、独断も少ないと思われる。今回は解説だけ目を通した。
『農耕詩』の第4歌に、ブーゴニアという奇妙な蜜蜂再生の方法が書かれている。これについて触れたところだけを書き抜いておこう。
牛の腐敗した死体から蜜蜂の組織を再生させるという神秘的な技術はいささか奇怪でもあるが、しかし感情に乏しく非個性的な「小さな市民たち」の復活方法としては、むしろふさわしいと言えるかもしれない。他方、その技術の起源が、そもそも繊細な美学と感受性を備え、『牧歌』でも詩人の理想像とされたオルペウスの悲運と死にさかのぼるという話は、読者にいっそう強い心理的衝撃を与えるものであろう。いずれにせよ、蜂の群れは飼い主の不注意のために神の怒りをこうむったとはいえ、今後は何とか絶えることなく存続していくにちがいない。作者は、この集団的動物の再生についてはあっさりと語るのみで、ほとんど喜びの情を表していない。それに対して、詩人がはるかに深い共感を込めて描こうとしたのは、愛ゆえの過ちによって妻を二度失い、彼女の死をいつまでも悼むオルペウスの人間らしさである。蜜蜂の群れのように、ローマ社会は内乱の滅亡の危機から回復し、これから永遠に繁栄するかもしれない。だが、そのために失われた犠牲者は、二度とこの世にもどってはこない。やはり亡き妻への愛ゆえにオルペウスは八つ裂きにされ、白い首から引きちぎられた彼の頭部は、真冬のヘブルス川の流れを漂いながら深い悲しみをいつまでも歌い続ける――「ああ、痛わしいエウリュディケよ!」と。そして川岸は、その声を空しく反響させるのである。(p.259-60)