ちょっとしつこいようだけど、『クリスマス・カロル』の村岡訳と池訳の比較。
He lived in chambers which had once belonged to his deceaced partner. They were a gloomy suite of rooms, in a lowering pile of building up a yard, where it had so little business to be, that one could scarecely help fancying it must have run there when it was a young house, playing at hide-snd-seek with other houses, and have forgotten the way out again.
彼は死んだマーレイの部屋に住んでいた。ある中庭に建っている低い建物の中の暗い一組の部屋だったが、その建物がそこにあることがすでに不似合いで、たとえて言ったなら、この家がまだ子供だった頃、ほかの家々と隠れんぼ遊びをしてここへ走り込んだまま、出口を忘れてしまったのではないかと想像したくなるほど、この辺にこの建物は不似合いなものであった。(村岡訳,22頁)
亡くなった相棒の名義だったむさくるしい部屋に、今は一人で暮らしている。工場か資材置き場の跡地でもあろうか、中庭のような空き地のどん詰まりに傾いて建つ一軒の、ろくに陽も射さない続き部屋だが、さびれはてたその建物は、幼い時分に友だちと隠れんぼうをして空き地の奥に迷い込み、帰る道がわからなくなったのではないか、と想像してもあながち無理とは言われまい。(池訳,27頁)
池訳は脚色が過ぎるようだが、それは今は問題にしない。
二つの訳で一番違うのは、「where it had so little business to be」に対応する部分である。
村岡訳では「その建物がそこにあることがすでに不似合いで」となっている。この「business」は「none of your business」(よけいなお世話だ)という時の用法(否定語とともに用いる)で、「関係のあること」を意味するのだと捉えている。建物がそこにあるということが、周りの状況となんら関連性がないようだというのである。次の「that」は、もちろん、この「so」と呼応している。
池訳ではこれに対応する訳が見当たらないようだが、おそらく「工場か資材置き場の跡地でもあろうか」という部分がそれなのだろう。「it」を「a yard」と取り、「besiness」を「工場か資材置き場」と拡大解釈しているらしいが、「a yard」は「where」の先行詞であるので適当ではないだろう。「so〜that〜」の呼応関係も認めてはいないようだ。*1
翻訳は迷った時に参照するにとどめて、行方の時のように翻訳技術まで学ぼうとは考えなくなった。
しかし、迷う時は大概二つの訳が別の解釈をしているので困ってしまう。
*1:「不似合い」な状況とは、それがかつては「工場か資材置き場」であったと思われるような空き地であることだという、穿った解釈から出てきた翻訳だろうと思い当たったので、誤読でも誤訳でもないのだろう。しかし、好みからいえば、きわめて嫌いな翻訳だ。