本の覚書

本と語学のはなし

不相応

 父方と母方の親戚を全部集めても、大学に進んだのは私一人しかいないようだということに初めて気がついた。私の生まれ育った県の辞書に大学全入という言葉は存在しないし、私の幼馴染の大部分は高卒か中卒が最終学歴であるから、私の家系の知的レベルの低さを異常なことのように考えてみたこともなかったのだ。
 しかし、思い返してみれば、高専に行って安定した職を得るというのが父の想像の限界であったし、大学に行くために要する知識は人間を駄目にするという迷信が我が家にはあったし、母は小説を読むことすら悪魔の仕業とみなしていた。そういう家に生まれて来たせいかどうかは知らないが、長男は精神世界に浮遊して出奔し、次男は太宰や三島に心酔して高校を中退し、一番まともだったはずの私も迷走を続けて今や没落の危機にある。


 役所でパートをしていたある女性は、小学校低学年の息子の将来を既に決めていた。山奥にある地元の高校を卒業したら、大工にするという。たしかに大学に行かなくても生きては行けるだろうし、これからは単なる大卒より腕のある大工の方が貴重な人材ではあるだろうけど、彼女の場合は、息子を山奥から一歩も外に出したくないのである。法には抵触しないかもしれないが、一種の軟禁だ。こういう話を聞くと、暗い気持ちになる。


 何か結論めいたことを書こうと思っていたし、その案もあったのだが、急にばからしくなったのでこの辺でやめておく。