どの言語でも原書講読はハードルが高い。最近の事情は知らないが、使いやすい参考書も少ないように思う。対訳や注釈がついていても、なかなか痒いところに手が届かなかったりする。結局は、ひたすら辞書を引き、文法は自分で調べ、良質な翻訳とにらめっこするというより他に方法はない。それが私の学生時代の勉強であった。
しかし、イタリア語に関しては、この本があれば文学への入門がだいぶ易しくなるかもしれない。
9つの短編が難易度の順に配置されており、易しいものから難しいものへと階梯を上がっていくことができる。昔私が使用していたような対訳本に比べると、注釈も親切であるようだ(どれほど親切でも、初学者にとっては親切すぎるということはないが)。編者の2人は翻訳家としても活躍している人たちであるから、対訳の域を超えて、良質な翻訳が提供されていることも期待できる。
むろん辞書は引かなくてはならない。私は電子辞書を持っていないから、老人のかさつく指で辞書をめくり続ける。ちょっと難儀ではある。
文法も最低限のことは頭に入れておく必要がある。分からなければ、何を調べればいいのかということくらいは見当がつかなくてはならない。私はどこかのタイミングで『イタリア語文法ハンドブック』(白水社)でさっとおさらいをしようと考えている。
最初の物語は、ルイジ・カプアーナの『こま娘』である。私はイタリア文学に疎いので、まったくどういう作家か知らない。この作品はおとぎ話のような語りである。
Un giorno passò davanti a quella bottega il Reuccio, e si fermò a guardare. (p.12)
ある日のこと、その工房の前を通りかかった王子が、足をとめてじっと眺めていた。(p.13)
この一文で注がついているのは、「Reuccio」のところ。「re(王様)に、小さいという意味の接尾辞 -uccioがついた形。principe(王子)の愛称として用いられている」とある。
辞書を調べてもreuccioは載っていない。イタリア語には縮小・親愛、増大、軽蔑などを表すための接尾辞がたくさんある。辞書に見当たらないからといって慌てて悪態をついたりせず、まずは変意名詞ではないかと疑ってみる必要があるのだ。
一つひとつ簡単に説明しておく。
「un giorno」はフランス語の「un jour」や英語の「one day」と同じく副詞的用法。
「passò」はフランス語の「passer」、英語の「pass」と同じ。遠過去という時制の3人称単数。フランス語の単純過去と同様、主として文章語として使われる。
「avanti」はフランス語の「avant」と同じようなものだが、副詞。ここでは前置詞「a」と組み合わせて、全体として前置詞的に用いられている。「前に、前へ」。
「quella」は指示形容詞の女性単数形。フランス語の感覚からすると疑問形容詞になりそうな気がするが、イタリア語では「あの、その」。
「bottega」はフランス語の「boutique」(ブティック)と同語源。イタリア語では「店」や「工房」を意味する。
「il Reuccio」が主語。「il」は定冠詞の男性単数。「re」はフランス語の「roi」、ラテン語の「rex」。
「e」はフランス語の「et」と同じく接続詞。
「si fermò」は再帰動詞で、「立ち止まる」。主語は同じなので、やはり遠過去の3人称単数である。ラテン語で「堅固にする」という意味の「firmare」から来ているが、同語源のフランス語「fermer」は「閉める」(再帰動詞は「閉じる」)という意味になる。ちなみに、英語の「firm」は形容詞としては「堅い」、名詞としては「会社」であるが、どちらも語源は同じである。
「fermarsi a+不定詞」は英語の「stop to+不定詞」と同じく、「立ち止まって~する」。
「guardare」は不定詞で「見る、眺める」。フランス語の「garder」や英語の「guard」と同語源だが、意味としてはフランス語の「regarder」と同じ。
