ホメロスを史料として扱うのには慎重でなくてはいけない。
詩が歌う英雄の時代は、必ずしもミケーネの遠い昔を伝えているだけではない。詩が作られた所謂「暗黒時代」、あるいはポリス成立当初の社会をも反映しているのかもしれない。
王や英雄の世界を描くホメロスの詩篇のなかで、テルシスは個性をもって登場する唯一の平民である。彼の軍会での発言は、オデュッセウスによって封ぜられ、同じ平民出身の兵士たちからさえも嘲笑される。しかし注目すべきは、結果がこのようなものにおわろうとも、テルシスが全員の集会で、総大将を堂々とやりこめている事実そのものである。帰国の決定という重要事は、王たちの間での相談にとどめず、全員の集会にはかるという慣例、そこにも民衆の地位を想像する鍵を見いだすことができる。
これは明らかにミケーネ時代の王と民衆との関係ではない。ポリス成立当初の、貴族と平民との関係の投影をそこに見るべきであろう。(p.120-121)