本の覚書

本と語学のはなし

すでに学ばれた事柄について確かなことを【ギリシア語】

Novum Testamentum Graece: Nestle Aland 28th Revised Ed. of the Greek New Testament, Standard Edition

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新約聖書 訳と註 第二巻上 ルカ福音書

新約聖書 訳と註 第二巻上 ルカ福音書

  • 作者:田川 建三
  • 出版社/メーカー: 作品社
  • 発売日: 2011/02/26
  • メディア: 単行本
 ルカによる福音書をちょっとだけ読んでみた。
 ルカはマリアへの受胎告知や飼い葉桶に眠る幼子イエスなど、クリスマスのイメージに大いに寄与した福音書記者である(東方博士の来訪はマタイ)。今の季節に読むのにぴったりだ。


 1章1節から4節までの序文。翻訳は田川建三のもの。

1 Ἐπειδήπερ πολλοὶ ἐπεχείρησαν ἀνατάξασθαι διήγησιν περὶ τῶν πεπληροφορημένων ἐν ἡμῖν πραγμάτων, 2 καθὼς παρέδοσαν ἡμῖν οἱ ἀπ’ ἀρχῆς αὐτόπται καὶ ὑπηρέται γενόμενοι τοῦ λόγου, 3 ἔδοξεν κἀμοὶ παρηκολουθηκότι ἄνωθεν πᾶσιν ἀκριβῶς καθεξῆς σοι γράψαι, κράτιστε Θεόφιλε, 4 ἵνα ἐπιγνῷς περὶ ὧν κατηχήθης λόγων τὴν ἀσφάλειαν.

1 我々の間で成就した事柄について、2 最初からの目撃者であり、御言葉の仕え手となった者たちが我々に伝承したとおりに、1 話を整えようと、多くの者が手をつけたのでありますが、3 私もまた、はじめから、すべてを、詳細に、追っておりますので、テオフィロス閣下よ、それをあなたのために順序よく書いてさしあげたく存じます。4 そうすれば閣下もすでに学ばれた事柄について確かなことをお知りになることができましょう。

 最後の部分は、ふつう「すでに学ばれた事柄の確かさを(=その事柄が確かであることを)」と訳される。バウアーの辞書を見ても、4節後半を並び替えて「= τὴν ἀ. τῶν λόγων περὶ ὧν κ.」(それについてすでに学ばれたところの事柄の確かさを)と説明している。前置詞つきの関係代名詞で裸のロゴス(複数形)を修飾しているというのである。ただし、言い換えではロゴスに定冠詞を補っている。
 しかし、田川は「すでに学ばれた事柄について確かさを」とするのが直訳であると主張する。文法的な説明はないが、前置詞はロゴスに付き、間に挟まれた関係代名詞節がロゴスを修飾するということだろう。カテーケオーという動詞(カテキズムの語源)の受動態において、学ばれる事柄を対格に置くことはあるようだし、対格になるべき関係代名詞が先行詞の格に影響されて属格になることもしばしばある。
 どちらの言い分が正しいのか私には判断しかねる。


 もう少し田川の主張を聞いてみよう。

何故ほぼすべての神学者がここで直訳を避けるか。直訳すれば、嫌でも、従来伝えられていることでは不十分、不確かだから、私のこの本を読めばもっと確かな知識を得ることができる、という意味になる。それでは先行の福音書(マルコと、多分いわゆるQ資料。〔中略〕)に対して、ルカが、自分の著作の方が確かだよ、と主張していることになる。〔中略〕神学者たちにとっては、聖なる聖書の中の一つの文書の著者が同じ聖書の中の他の文書に対して批判的な意識を持っている、などということは絶対に認めたくない。すべてが有り難い聖書でなければいけないので、一方が他方を批判するなどということは(その批判が当たっていようと間違っていようと何であれ)、あってはならない、あるはずがない、絶対にありえない、そんな可能性を考えてみることさえもありえないことなのである。(p.95)

 もう少し続くが、要するに神学者の護教的態度が聖書の翻訳をねじ曲げる元凶であるというのである。