本の覚書

本と語学のはなし

燃えよ剣(下)/司馬遼太郎

 歴史は幕末という沸騰点において、近藤勇土方歳三という奇妙な人物を生んだが、かれらが、歴史にどういう寄与をしたか、私にはわからない。(p.253)


 司馬遼太郎はべつに歴史的な評価をしようとして土方歳三を描いたわけではない。むしろ、近代以前の戦乱の世にこそ生まれるべきであった人物として、あるいは水戸史学や朱子学の洗礼を受ける以前の武士を体現する人物として、その稀有な怪しい輝きを記録しようとしたように思われる。
 土方の本領は京都よりも、むしろ東北から北海道で発揮されたという。確かに新選組を鉄の規律でまとめ上げた手腕は見事だが、それはあくまで前近代的な白兵戦の集団に過ぎない。しかし、大砲や銃で武装する軍隊を率いても、彼は天才的な能力を発揮したのである。彼にはもう歴史も思想も関係ない。ただ軍神と化し、いよいよ挽回不可能となれば戦場に散るのみであった。
 私は新選組を好まないし、土方を評価するわけでもないが(奥羽列藩同盟の土地に生きてはいるが、たいして郷土愛はない)、その最期に至っては軽々に拒否し去ることのできない迫力がある。


 長い引用になるが、鳥羽・伏見の敗北の後、慶喜大阪城から脱走した理由の分析(国民的作家と言われる司馬だけど、文章は模範としてはいけないと思う)。

 「自分が賊軍になる」
 ということをもっとも怖れた。足利尊氏の史上の位置を連想した。幕末、討幕、佐幕両派を問わず、すべての読書人の常識になっていたのは、南北朝史である。
 南朝を追って足利幕府をつくった尊氏をもって史上最大の賊と判定したのは、水戸史学である。水戸の徳川光圀のごときは、それまで史上無名の人物にちかかった尊氏の敵楠正成を地下からゆりおこし、史上最大の忠臣とした。幕末志士のエネルギーは、
 「正成たらん」
 としたことにあった。正成ほど、後世に革命のエネルギーをあたえた人物はいないであろう。
 京に錦旗がひるがえったとき、慶喜はこれ以上戦さをつづければ自分の名が後世にどう残るかを考えた。
 「第二の尊氏」
 である。
 その意識が、慶喜に「自軍からの脱走」という類のない態度をとらせた。こういう意識で政治的進退や軍事問題を考えざるをえないところに、幕末の奇妙さがある。(p.208-9)


燃えよ剣(下) (新潮文庫)

燃えよ剣(下) (新潮文庫)


上巻:http://d.hatena.ne.jp/k_sampo/20121111/p1