本の覚書

本と語学のはなし

ファウスト 第二部/ゲーテ

 今月はゲーテ関連の本をいくつか読んできた。そして最後に『ファウスト 第二部』を読み終えた。
 だが、どれを読んでも今の私には何かしっくりこない。読めば糧になるだろうことは分かるのだが、それ以上に私の心に迫るものがない。
 人は生きて努力する限り迷うものである。あらゆる学問を修め、あらゆる官能を味わい尽し、それでも満足しなかったファウストは、公共事業に人を使役して公共性への没我に浸り、ようやく恍惚境の絶頂に至って絶命する。契約通り悪魔の自由になるはずだった彼の魂は、永遠の女性的なるものに導かれて昇天する。かつてグレートヒェンと呼ばれ、ファウストの子を産み、これを殺して発狂した贖罪の女も、彼の魂のためにマリアに懇願するのである。
 あらゆることに興味を抱き、学び、計画を立て、実行し、そして常に挫折するという、フローベールの『ブヴァールとペキュシェ』という小説がある。彼らは一向に救われない。作者の死によって未完に終わったが、そもそも終わりを迎えられるような話ではない。
 『ファウスト』を読みながら、私はずっと『ブヴァールとペキュシェ』のことを思っていた。私はゲーテのタイプの楽天家ではない。失敗と没落の内にも決して絶望しきることができないという意味での、フローベールのタイプの楽天家である。