高校生の時に初めて読んだ。深く共感した。たぶん「没我」の思想の故である。
私が特にスピノザにひきつけられたのは、その一句一句から無際限な没我主義が輝き出ていたからである。「真に神を愛するものは、神からも愛されることを願ってはならない」というあの感嘆すべきことばは、その一切の前提と、それから生ずる一切の帰結と共に、私の瞑想をくまなく満たした。何事にかけても没我的であること、愛と友情にかけて最も没我的であること、それは私の最高の喜びであり、私の格言であり、私の実行であった。それゆえ、「私がお前を愛したところで、お前に何のかかわりがあろう」という後年の大胆なことばは全く私の衷心からの声だった。(p.129-30, 『詩と真実』第3部第14巻から)
今回は何度目かの再読である。共感もすれば反発もする。私にも書けそうだと思ったり(名人の仕事はやさしそうに見えて、とうてい真似のできぬものではあるが)、社会への没我が私にはあまり向いていないようだと考えたり。
没我が女性に適用されるとき、必然的に伝統的な家庭での役割が最善のものとして与えられる。家庭の支配ということに、女性の至高のはたらきを見ようとする。一種の女性崇拝ではあるのだが、もはやオフィシャルに表明できるような主張ではない。
ゲーテを続けるかどうかは未定である。仮に諦めるとして、それはゲーテの女性の好みが気に入らないなどという理由ではない。
時間は限られている。学び得ることも限られている。取捨選択が必要であるというだけである。