ウェルギリウス『牧歌』の第2歌56-62行。
rusticus es, Corydon; nec munera curat Alexis,
nec, si muneribus certes, concedat Iollas.
heu, heu, quid volui misero mihi ? floribus Austrum
perditus et liquidis immisi fontibus apros.
quem fugis, a ! demens ? habitarunt di quoque silvas,
Dardaniusque Paris. Pallas, quas condidit arces,
ipsa colat: nobis placeant ante omnia silvae.
お前は田舎者だな、コリュドンよ。アレクシスは贈り物など気にかけはしない。
たとえ贈り物で競っても、イオラスは負けないだろう。
ああ情けない、どういうつもりだったのだ、この哀れな僕は。心乱れて、
花の中に南風を、澄んだ泉に猪を放ってしまった。
誰から逃げようとするのか、ああ、愚かな君は。神々も森に住んだし、
ダルダニアのパリスもだ。パラスは、自分が築いた城塞に
ひとりで住んでいればよい。だが僕らには、何より森こそが好ましくあれ。
コリュドンはこの歌を歌う牧人である。アレクシスは彼が思いを寄せる牧人であり、恐らくは彼と同じくイオラスの奴隷である。この三者はいずれも男性。ウェルギリウスの少年愛が反映されているとも言われるが、当否は分からない。
ダルダニアのパリスというのは、ヘレネを奪いトロイア戦争の原因を作ったパリスのことで(『アエネイス』の主人公アエネアスの従兄弟でもある)、羊飼の子として山で育てられた。
パラスはラテン名ミネルヴァ、ギリシア名アテナ。アテネを作った女神である。関係ないが、私が使っているアイコンは、アテナのフクロウである。
聖書の後で、今一度文学に戻ってみる。
ラテン語はウェルギリウスの『牧歌』。
淀んだ流れのような老人の精神にも、まだ詩に感ずる心のあることが知られる。今日読んだ詩句を、幾度も口ずさんでみる。まだ心臓に血は通い、まだため息すら漏れそうになる。
ドイツ語は『シャーロック・ホームズの冒険』所収の「ボヘミアの醜聞」の翻訳。
原作は1892年、翻訳は1906年。
ドイツ語訳は必ずしも正確ではない。翻案というほどの改変はないが、ところどころ端折られたり、別の言葉に変えられたり、別の描写になったりする。あくまで娯楽小説という扱いだったのだろう。原文に忠実であるよりは、当時のドイツ人に分かりやすく、通りのよい文章にすることを優先したようである。
出来ればあまり変わって欲しくはないけれど、どうせ英語の原文も読むのだし、原文から翻訳された(当然だが)日本語訳も参照するのだから、何をどう変えたのかを観察するのも一つの楽しみではある。
原文が簡潔でやさしい文章だから、その翻訳も読みやすい。原文を尊重しないことで、ドイツ語らしさをよく保っているという可能性もある。
まあ、何がどうであれ、シャーロック・ホームズは面白いのである。
ウェルギリウスもホームズも捨てないとした場合、また別の選択が必要になる。
果たして落としどころは見つかるのだろうか。