本の覚書

本と語学のはなし

【ラテン語】野蛮人がこの麦畑を【牧歌】

 ウェルギリウス『牧歌』第1歌70-72。

impius haec tam culta novalia miles habebit,
barbarus has segetes. en quo discordia civis
produxit miseros : his nos consevimus agros.

不敬な軍人が、こんなにもよく耕した畑を自分のものにするのか―――
野蛮人がこの麦畑を。争いは、不幸な市民たちにこんなことまで
味わわせるのか。この人々のためにこそ、私たちは畑に種を播いたのに。

 オクタウィアヌスアウグストゥス)は退役軍人たちに報いるため、農民の農地を没収して、軍人たちに分け与えた。
 ウェルギリウスの父の土地も取り上げられかけたが、オクタウィアヌスに直訴して免れた。計測の仕方が間違っていることを主張したものであったらしい。
 この詩にはその土地没収事件が反映されている。
 メリボエウスは土地を奪われて、去っていく人である。一方、対話相手であるティテュルスは、呑気に葦笛を吹いている。彼はローマに行って自由を得た。彼に自由を与えた若者を、ほとんど神のごとくに崇めている。
 ティテュルスはウェルギリウスの反映でもあるだろう。オクタウィアヌスに感謝を捧げてもいるのだろう。だが、土地を失った人々の嘆きが彼を苛んだのも、事実であろう。
 ティテュルスはウェルギリウスの自画像であるというよりは、戯画であるように思われるのである。


よこしまな心の兵隊が、こんなにもよく耕した畑の持主となるのか?
この畑を野蛮人が? 内乱が市民を、どれほど不幸にしたかを見るがいい。
わしはこんなやつらのために、畑に種を蒔いたのではなかった

 河津千代訳では、最後の部分が異なる。
 第一に、否定文になっている。おそらく「nos」(「私たち」を意味する人称代名詞)を「non」(否定辞)と読んでいるのだろう。
 ロエーブにはあまり異読が載っていないので、「non」と読む写本があるのかどうか分からない。あるいは、そのように訂正して読もうとした学者がいたのかも知れないし、河津自身の説であるのかも知れない。
 それとも、河津の読みも「nos」であるけれども、強烈な反語としての意味を汲み取ったと言うことかも知れない。
 いずれにしろ、この部分に河津は注を付けていないので確認できない。


 第二に、河津が「こんなやつら」と訳しているのは、「不敬な軍人」とか「野蛮人」とか言われている人のことだろう。
 しかし、「impius miles」も「barbarus」も単数形である。これは同格だろうから、合わせて二人と考えることも出来ない。「his」(この人々)でこれを受けていると考えるのは無理がある。
 ここで近接する複数形の名詞といえば「civis miseros」(不幸な市民たち)であり、「his」はこれを指しているとするのが妥当である。


 「この人々」が「不幸な市民たち」を指しているのだとすると、「nos」を「non」に読み替えることはほとんど不可能である。
 確かにメリボエウスの言葉には多少混乱があるようだし、河津訳の方がすっきり腑に落ちはするのだけど、その混乱こそが詩的な言語の狙いであるのかも知れない。