本の覚書

本と語学のはなし

核兵器と原発/鈴木達治郎

 物理的、技術的な内容を期待していたが、どちらかと言えば政治経済、倫理的な話の方が多い。
 著者は福島の原発事故当時、原子力委員会の一員であった。原子力政策の根本的な見直しを迫られた。研究テーマを核軍縮・不拡散問題に移した今も、関心を抱き続けている。原発リスクも核兵器リスクも、非人道的側面を共有する。
 しかし、原子力政策は3.11以前に逆戻りしているのではないか、原子力の技術が核兵器へ転用できることから、それが核抑止力として働くのだという論理が幅をきかせているのではないか、日本の政策は核廃絶という人類究極の目標を阻害しているのではないか、と危惧するのである。


 原発と核抑止力に何の関係があるのだろう。

再処理の合理性が崩れている今、政府が核燃料サイクルの継続に固執する理由はなにか。おそらく政府は、再処理や濃縮といった核兵器転用可能な核物質を生産できる技術・施設を保持することが、「潜在的核抑止力」につながると考えているのではないか。(p.113-4)

 いつでも核武装できるようプルトニウム抽出能力を獲得する必要があるということは、表立ってではないが、以前にも言われたことがある。しかし、福島での事故以降、こうした考えが堂々と表明されるようになった。

北朝鮮が核開発を進めている現状を鑑みれば、核抑止力が機能しているとは到底思えないのだが、同様の趣旨の発言をする政治家、政府官僚もいる。防衛庁長官防衛大臣を歴任した石破茂自民党政調会長(当時)である。


 「核の潜在的抑止力を持ち続けるためにも、原発をやめるべきとは思いませ
 ん。・・・・・・核の基礎研究から始めれば、実際に核を持つまで5年や10年はかか
 る。しかし、原発の技術があることで、数か月から1年といった比較的短期間
 で核を持ちうる。加えて我が国は世界有数のロケット技術を持っている。こ
 の2つを組み合わせれば、かなり短い期間で効果的な核保有を実現できる」
 (「SAPIO」2011年10月5日号) (p.115)


 ロシアのウクライナ侵攻によって、戦時の原発リスクが突きつけられる一方、エネルギー政策見直しの結果、世界的に脱原発にストップがかかる可能性も出てきた。