本の覚書

本と語学のはなし

人と思想39 アウグスティヌス/宮谷宣史

 『告白』の原典講読をするときには、岩波文庫の服部英次郎訳の他に、教文館の宮谷宣史訳も参照している。どちらにもあまり満足はしていない。時々、ラテン語が得意ではないのじゃないかと思うことがある。
 宮谷によるアウグスティヌスの入門書を読んでみた(再読)。この人の場合、ラテン語以前に日本語が不得手であるのだと確信した。ちょうどニーチェの『反時代的考察』第一篇も読んでいたところなので、ニーチェがダーフィト・シュトラウスの悪文見本帖を作っているのを見て笑ってしまった。しかし、ニーチェが抱いていたようなドイツ語とドイツ精神に対する使命感のようなものは私にはないので、サンプルを採集する労力を惜しむのである。
 一つ擁護をしておくと、悪文とは言っても、宮谷のは悪意のある意地の悪い文章ではない。単にあきれるほど稚拙であると言うだけのことだ。ニーチェが時々たまらず叫んだように、どうぞ先生、一度その日本語をラテン語に訳してみてください、と言いたくはなるけれど。


 どうにも集中できなかった。内容についての感想は書きにくい。
 これを編集者が容認したということは、膨大な訂正を恐れて放置したのでないとすれば、私の耳が敏感に反応しすぎたのかも知れない。